●  生きるか死ぬは、隣り合わせで

こんにちは。平山美代子です。

3.11ですね。私にとっては、忘れることができない日です。

今朝感じたことを、日記として書いておきたいと思います。

ちなみに、当時の私の様子は、旧ブログに残ってますので、気になったら読んでみてくださいね。

さてさて。

生きるか死ぬかは、隣り合わせだと思いませんか?

朝行ってきますと言った人が、もどらなくなる。

そう考えると、帰ってくることが、どんなに素晴らしいことか。

あの時は、水の引いた荒れ果てた自分の街を歩いてて

いま、このコンビニでおにぎりを盗めば、御飯にありつける

しまむらのショーウインドーにあった子供服もいまだったら盗める

かわいい服を、たくさん娘に着せられる

ふと、我に返ると、ふつうに「盗むこと」を当たり前に考えてる自分に恐くなりました。

盗めば悪いことはわかってるはずなのに、41歳なのに、です。

車しか残らなかった私には、これからがとても不安だったのでしょう。

究極の精神状態では、人は、自分のことだけを考えるものです。

あのときは、みんな自分のことだけで精一杯でした。もちろん私も。

会う人会う人、みんな恐い目をしていた。

毎日、食べ物と水を調達することしか、考えなかったかな。

汚れてもいい農作業みたいな服を着て、食料調達に自転車をこぎ、水の調達に車で行ってました。

状況は違うけれど、仕事で、浮気問題を扱う私としては

今の旦那様の浮気も、きっとこれと同じ精神状態だったのでは?と、思うのです。

それだけに、自分のことだけしか考えられない極限の状態だったのではないかなと。

極限の状態だと、相手への不平不満も一切でなくなります。

相手にかまってるところじゃない、のです。自分のことで精一杯。

余裕があるからこそ、他人のことをいろいろ考えられます。

浮気相手にムカついたり、制裁を加えてやりたい、と考えられるのは、まだまだ、極限の状態になってないと言うこと。

寝泊まりできる屋根つきの家がある
ひとりになれる部屋がある
足を伸ばして寝られる
ゆっくり寝られるお布団がある
安心して寝られる空間がある
お風呂にゆっくりつかれる
温かいごはんをくちにできる
温かいもの冷たいものが、美味しく食べられる

こんな当たり前の日常が、当たり前じゃなくなるのですから

だから、死と隣り合わせになったことのある人は、

生きることに対して、本当に大切にしたいものが見えるのです。

そして、上にかいたような、当たり前のことすべてに、感謝できるものなのです。

どう生きるか、後悔しない生き方を選択できるのです。

今のあなたはどうですか?

な~んて、5年たってようやく振り返られる自分になりました。

あなたにとって、今日が平和な1日になりますように。