今日はちょっとした気づきをシェアしてみる。



※写真はスノボを楽しむバターの図

苦しんでいる人がいて、その人の感情を見てみて、
「ああ、この感情がずっと自分を痛めつけてるんだなー」ってところまで気づくんやけど、それをすっきりさせるかどうか聞いてみると、たまに言われるんよね。


「いや、この感情は手放すと自分の個性がなくなる気がするから触らないでください!」

って。



自分の感情がアイデンティティだと思ってしまう。

これ、マジでよくあるパターンやなあと思ってて。
なんなら俺もその状態で停滞して10年くらい苦しんでたんやなあってふと思ったんよな。


でも、最近はちょっと違うらしいって感覚になってきた。


このことをどう表現するか色々思考を巡らせているところなんやけど、一つ参考になりそうなのがあったから、今日はそれをシェアしてみようと思う。



さて、みんなは「自分の生まれ故郷の良さ」ってなんやと思う?


海産物が美味しい?
観光地が近くにある?
自然が多くて人があたたかい?


多分、色々あると思う。


俺もさ、自分の地元は海産物が豊富で、当たり前のように市場が賑わってて、そこがすごいええところやったなあって思ってるんよね。



でさ、そんな地元の「天気」のこと考えてほしいんやけど。


例えば地元が雨降ってたり、晴れてたり、雪だったりといろんな天候の時期があったりすると思うんよね。

でもって、その天候は、時と場合によって必要やし、でも同じ状態が長く続くと今度は害を起こすこともあるんよな。



そんな天気のことを、地元の良さとして掲げることって、あんまりないんとちゃうかな。

「うちの地元はずっと雨が続いて晴れないから最高なんです!」
「うちは地元が晴れ続きで雨体験したことが一切もないんですよねー!」

うん、そもそもその設定が、人が住む場所としてかなり厳しいものがあるな。



天気はあくまでもメインのものじゃない。


もちろんあって助かることも多いけど、天気がその土地のアイデンティティかといわれると、どうやらそうじゃないみたい、ってのは感覚としてわかるかな。


天気は、コロコロ変わるもの。
それはその土地に紐づいたものではない。


どうやらそうらしいんよね。




人も、それと同じでさ。

めちゃくちゃ頭のキレる人。皆に優しさを配れる人。スポーツ万能な人。何かに熱中できる人。
いろんな人がおる。

そういう土台の部分は人によって違って、そしてどれも面白くて素晴らしいんよね。



でも、感情はその人に紐づかない。

怒りとか悲しみとかいう感情は、あくまでも天気と同じで時間が経つと変わるものなんよね。




せやから、もし「感情が個性だ」って思う時があったら、ぜひもう一回振り返ってみてほしいのよ。

「この身を焼き付けるような怒りの気持ちが本当に自分だったっけ?」
「この身を締め付けるような悲しみの気持ちが本当に自分だったっけ?」

感情は天気と同じで、移り変わるもの。


もちろん、「そのままでいたい」って時もあると思うから、そう思うならそのままでもええ。

でも、「感情に苦しめられる自分が本当は嫌だ」ってなるなら、その時は卒業してもええのよ。





今日も楽しんでいきましょう!


追伸:感情の雨をそのまま受け止めて生きるのもあるけれど、そこに傘をさす方法があったら、気になる?