ナチスはひとつも良いことをしていないぜ、という主旨の本を読む | キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

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ナチスはひとつも良いことをしていないぜ、という主旨の本を読む(岩波のブックレット)。私は今まで、ヒトラーの経済政策、とか、ナチスの発明、とか、そういう本を読んでいたが、それがほぼ嘘だったと知った。簡単に言うと、ナチスが表面上、良いことをしているように見えても、それは大抵、戦争計画 

 

みたいな邪悪なたくらみにつながるので、褒めちゃダメでしょ、という感じだ。ほかには、ナチスにさしたるオリジナリティはなくて、大抵はどっかから引っ張ってきたパクリであり、それを誇大に宣伝していただけ、みたいな感じだった。あとは、そのナチスの宣伝にだまされて、そのプロパガンダがそのまま 

 

現代に流布されているだけ、という指摘もあった。本書の主張は何ひとつ間違っていないし、私は変な一般書に今までだまされていた、と思った。しかし、同時にひとつの疑問も覚える。この論拠は、ナチス以外のあらゆる存在に当てはまってしまうのではないか、と。例えば、日本の朝鮮半島の統治も、 

 

このナチス論と同じように考えたら、日本は何ひとつ、朝鮮半島に寄与してはいない、ということになる。その背後に必ず、日本人が得するようなたくらみが隠れているからね。ほかには、教育勅語や軍人勅諭はどうだろうか。時代錯誤な部分もあるけど、いいこともたくさん書いてある、と保守の私は思う。 

 

でもね、このナチス論にならうと、そんなわけはなくて、その全ての言葉の節々に対外侵略のための目的が隠されている、と読める。あと、そうだな、アメリカが日本を統治した歴史をちょっと考えると、その平和憲法やら、財閥の解体やら、アメリカは日本を民主的にしたように思えるが、その目的の根底には 

 

当然、ソ連陣営に対する尖兵や防波堤として日本を育て、利用するアメリカのたくらみが潜んでいる。ほかには、私が大嫌いな会社について考えてみようか。社員に対する福利厚生をがんばっているところもあるけど、本質的に会社というのは、お金儲けを目的としたシビアな営利団体であって、社員はその駒に 

 

すぎず、その成果を最大限利用するために、社員を慰労しているようなそぶりを見せるだけ、という気もする。ちょっと話が長くなったが、ナチスはひとつも良い事をしちゃいない、という主張は全く正しいし、私の無知や、しょうもない一般書に今までだまされていた、と舌打ちした。が、同時に、こういう 

 

疑問も覚えてしまって、結局、世の中って、全部、よこしまな目的が潜んでいるもんじゃないの?という嫌な結論にも到達してしまった(ようなおそれもある)。読書って、結局、こんな風に刺激を受けて、次の発想に至れるのがいいよね。 

 

この本を読んでいて反論不可だと思えたのは、財政基盤なきナチスの良い政策、だ。赤字で始めてそれを返済せず、踏み倒すか占領地から収奪して埋め合わせる。そんな強盗みたいなマネだったら誰でもできる。問題はそれ以外の「ナチスがやった良い事」だ。その批判の論拠は多くの対象に当てはまるような。 

 

補足しておきたいが、ナチスはひとつも良いことをしていないぜ、という理解は、あくまで私の受け止め方だよ。著者にしてみたら、そんな風に断言してはいないと思う可能性がある。実際そのとおりで断定はされていない。ただし、ナチスを褒めている部分がなかった(もしくはごく一部)のでそう解釈した。 

 

なんか、少しだけリポストされて反応がいいので、さらに補足するが、この著者は厳しくてね、表面的な切り出しに異議を唱える。例えば、ナチスは禁煙を奨励していた。そこだけ切り出したら、誰もが素晴らしいと思うよね。正しいと思える。でもね、ここからが本題だ。そもそも、禁煙を奨励するのは国民の 

 

健康すらナチス国家の財産であり、それを利用したいというたくらみがあるからだ。また、著者はそこに追い打ちをかけて、その禁煙の奨励も大して進まず、実態に乏しいものだったと指摘する。基本的に、著者の思想としては、そういう文脈を必ずかませるので、要するにナチスが何かをやっても全部悪巧みの 

 

ひとつだろ、という感じになる。確かに、そのとおりなので、私は納得するし、反論する気もない。ただし、その論拠でいくと、上記の長いツリーで述べたようにあらゆる組織・存在にも当てはまってしまう。例えば、ナチスと並ぶ、スターリン率いるソ連という国家がある。 

 

独ソ戦といえば、悪VS悪の頂上決戦という印象を私は持っている。つまり、そのソ連がどんなに良いことをしていても、結局、共産主義者の悪だくみにつながる、という感じになっちゃうよね。この著者が仮に、今度はナチスではなくソ連版の新書を書いたら、同じような結論に至るように想像される。 

 

この本を手に取ると分かるけど、著者は学者らしく、厳密さを重んじる。国家社会主義ドイツ労働者党という訳語はおかしいなどと本書で触れている。訳語ひとつとっても問題あるよねと提起してくる。真摯な人物なんだろうね。自分の専門分野に関しては、ひっきょう、そうなるわな、と自分に重ねてもみた。

 

*Xより転載(クソ引用リポストとクソリプが増えたので元ポストは削除済み)