『花咲くいろは』 | キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

本家→「知識の殿堂」 http://fujimotoyasuhisa.sakura.ne.jp/

・最近、『花咲くいろは』の全話と劇場版を見た。
 ひょんなことから、経営が傾いている旅館――喜翆荘(きっすいそう)の仲居として働くことになった女子高生が主役のアニメである。
 安易なハッピーエンドではなく、喪失感を視聴者に与える終わり方がよかった。
 喜翆荘(きっすいそう)を盛り返して、この旅館がいつまでも続く……というストーリーではなく、従業員の奮闘むなしく、
喜翆荘(きっすいそう)は、つぶれてしまうのだ。
 一応、一時閉館ということになっているが、多分、二度と再開することはない。
 職を失った従業員たちが、それぞれの道を歩みはじめるところで、このアニメの幕が閉じる。
 その喪失感が素晴らしくて、人生の厳しさを描いているように思った。
 しかし、それでいて、悲壮感が漂っているわけではなく、新しい道に向かって、みんなが羽ばたいていくラストになっていた。
 これが安易な作品であったら、喜翆荘(きっすいそう)という安住の地がいつまでも守られて、それぞれが日々の幸せに埋没するだけのことであったろう。
 そういうありきたりなハッピーエンドだったら、俺はそんなに感動しなかった。
 「失いたくないものこそ、いつか失われる」
 という残酷な現実に、俺が打ちのめされることはなかった。
 ……もう二度と、喜翆荘(きっすいそう)での楽しい日々は戻ってこない。しかし、その思い出は永遠である、というメッセージに、涙が止まらなかった(俺はそう、この作品のテーマを解釈した)
 人を感動させたければ、軽率な「大団円」は――ときに戒めなければならない。
 「厳しい現実の中にある、次の希望こそ」が視聴者の心を打つ。
 「敗れ去ったときの態度」が問われているのだ。
 勉強になった。


*結局、登場人物たちの喜怒哀楽がこのラストに結実するので、今、この文章を記していても感慨深いものがある。
「あの素晴らしき日常は、うたかたのように消え去ってしまった。はかなさの連続が人生なんだな……」
 と、落ち込む。
 心にポッカリと穴があいている。