・「アニメを見て人間力を高める」との考えを、昔から持っている。
アニメというのは、みんなが求めている理想をモニター上に具現化するのが目的のような媒体だから、当然、好ましいキャラクターが出てくる。
近年でいえば、『ガールズ&パンツァー』の秋山優花里(あきやまゆかり)であり、『けものフレンズ』のサーバルである。
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軍オタの良心秋山殿
https://togetter.com/li/528002
「サーバル流デキる上司の話し方」のようなビジネス本があったなら
https://togetter.com/li/1093195
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俺に欠けているものを、彼女たちは全て持っている。
本当、恥ずかしくなる。
反省せねばならない。
しかし、それだけでは、まだ足りない。
どうしたって、その反省が持続しない。
数週間、数ヶ月たってしまえば、また、人の悪口ばかりをのたまい、愚痴ばかりこぼしている、駄目な俺に戻ってしまう。
「これではいかん」
と、思って、反省し直しても、やはり、反省するのはそのときだけで、結局、陰険なオタクに逆戻りする。
多分、「マクロス成分が足りていないから」だと思う。
俺は子供の頃から、『超時空要塞マクロス』シリーズを見ている。
1作も欠かさずに……。
そこで、いつも思うことがある。
「男というのは女の声援がなければ戦えない」ということだ。
歌姫の歌でもって、応援されていないと、男はすぐに駄目になる。
正直、認めたくないことなんだけど――男というのは、女に励まされないと、根性がひねくれる。絶対に腐る。
ある意味、女と縁の薄い俺(たち)が、陰険な気質を有しているのは、そういうことなのではないか?
そう思えてならない。
しかし、だからといって、
「声援を送ってくれる女を作ればいいのか?」
というと、そんなこと、俺(たち)には絶対にできない。
それが叶(かな)ってりゃ、俺(たち)はとっくの昔に、リア充という別のステージに転生している。
明るく、素直で、礼儀正しい、一般人になれている。
……もはや、ないものねだりの世界といってよい。
結局、俺(たち)は、自分の駄目なところを直すことができずに生涯を終える。
だから、
「時折、人に優しくなれる良心を持ち合わせている」
……程度のことしか、俺(たち)にはできない。
しょっちゅう、人にかみつくけど、最後の最後には、いいヤツになれる……。
俺(たち)の美徳といったら、その1点しかない。
だから、以前にひどいことを言われたことがあっても、俺(たち)はそいつのことを許せるし、俺(たち)がひどいことを言った相手も、俺(たち)のことを許してくれるだろう。
……和解する余地だけは失ってほしくない。
その最後の砦(とりで)まで失ってしまったら、アニメを見る資格すら、俺(たち)は失う。
はなから、俺(たち)の人生が、負け戦(いくさ)であることは分かっている。
その現実を踏まえたうえで、いかに負けるのか、それが俺(たち)の撤退戦である。
さながら、インパール作戦における、宮崎兵団のようなものだ。
負けるにしたって、美しい負け方が、必ずあるはずだ。
俺(たち)が美しい負け方をするために、秋山殿がいて、サーバルちゃんがいる。
もちろん、マクロスの歌姫の声援が俺(たち)に届かないように、秋山殿やサーバルちゃんの教えに、俺(たち)が目覚めることはない……。
しかし、その残光に、俺(たち)が照らされていることを、忘れてはならない。
最後の良心を守り抜くためにも……。
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「補足――負け戦(いくさ)である理由」
そもそも、俺(たち)が、ちゃんとしている人間だったら、秋山殿やサーバルちゃんを見て、心を動かされることはない。
「当たり前の立ち居振る舞いでは?」
と、思うだけである。
秋山殿やサーバルちゃんのことを、
「すっごーい!」
と、思ってしまう段階で、すでに俺(たち)は負けているわけだ。
そして、
「すっごーい!」
と、彼女たちのことを思えるからこそ、
「こりゃ、マネできねーや」
とも思って――単に負けるだけでなく、無条件降伏にまで至ってしまう。
まごうかたなき、負け戦(いくさ)ではないか!
つまり――はなから、俺(たち)の人生は、負け戦(いくさ)なのだ。
負け戦(いくさ)という前提から、俺(たち)は何かを積み上げていくしかないのである。