■アニメ映画『聲の形』
・(学校からの帰り道)主人公の石田将也(いしだしょうや)が歩いているシーンで、キジバトの鳴き声が挿入される。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/10/fujimotoyasuhisa/10/25/j/o1024055314432976685.jpg?caw=800)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/10/fujimotoyasuhisa/1b/c3/j/o1024055214432976708.jpg?caw=800)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/10/fujimotoyasuhisa/a1/a4/j/o1024055214432976736.jpg?caw=800)
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/10/fujimotoyasuhisa/e9/fc/j/o1024055214432976758.jpg?caw=800)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/10/fujimotoyasuhisa/e2/18/j/o1024055214432976787.jpg?caw=800)
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/10/fujimotoyasuhisa/c9/ff/j/o1024055214432976826.jpg?caw=800)
・ヒロインの西宮硝子(にしみやしょうこ)がドバトにパンを与えているシーンがある。
↑この場面に出てくる鳩の作画が実に繊細である。
実写と見間違うほどの描き込みがなされている。
鳩の体色も、一辺倒な灰二引だけでなく、灰胡麻とおぼしき鳩をしっかり混ぜている(原作漫画にはない、京都アニメーションのアレンジ)
芸が細かい!
これは間違いなく、公園の鳩を実際に見にいっている。
そうじゃないと、体色に違いがあることを、意外に見過ごして、全部、同じ色に塗ってしまう。
また、アニメーションに関しても、1羽1羽が丁寧に動く。
まるでジブリ映画のように、それぞれの個体がそれぞれの個性を見せてくれる。
いわゆる、モブといわれるシーンは、結構な手間がかかるために、テレビシリーズなどでは手を抜いて描かれることが多い。
超一流の京都アニメーションであっても、予算や制作時間の関係から、そうせざるを得ない。
最近、京都アニメーションが制作したテレビアニメ『小林さんちのメイドラゴン』でも、作中に出てくる鳩は、そこそこの描き込みで手を打っていた。
しかし、本作は、劇場アニメである。
桁違いに、「鳩作画」のクオリティーが高い。
気合が入っている。
このシーンを担当したアニメーターは、さぞ骨を折ったことだろう。
「ご苦労さんであります!」
と、言って、ビシッと敬礼したい(感謝)
お見事な腕前でした!
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/10/fujimotoyasuhisa/2c/98/j/o1024055214432976856.jpg?caw=800)
・川井みき(かわいみき)と佐原みよこ(さはらみよこ)に、植野直花(うえのなおか)が突っかかっていく。
このシーンにおいて、木にとまっている1羽の鳩が出てくる。
鳩が逆光を浴びて、黒くなっている。
意味深長だ。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/10/fujimotoyasuhisa/9e/c3/j/o1024055214432976881.jpg?caw=800)
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/10/fujimotoyasuhisa/f7/45/j/o1024055214432976922.jpg?caw=800)
・西宮結絃(にしみやゆづる)が見る悪夢の中に、頭から血を流して死んでいる、鳩の死骸が出てくる(原作漫画にも同様の場面があるが、鳩は頭から血を流して死んでいない。京都アニメーションのアレンジ)
↑鳩はよく、カラスや野良猫に襲われて食べられてしまうことが多い。
俺は鳩好きなので、そうやって殺された鳩の死骸を見つけると、じっくり見るようにしている。
もう何度となく、鳩の死骸を見ている。
しかし、一度として、鳩が頭から血を流して死んでいる姿を見たことがない。
だから、このシーンを見たときには、
「鳩の頭が血だまりの中にあるけど、こんなに血は出ないよな」
と、疑問を覚えた。
しかし、そこは、京都アニメーションのすることだ。
分かってやっている、うそなのだろう。
事実、このシーンでは、鳩が頭から血を流して死んでいる姿と、西宮硝子が飛び降り自殺をして、頭から血を流して死んでいる場面を重ねて表現している。
つまり、鳩の死骸から西宮硝子の死をイメージするように、鑑賞者を誘導しているのだ。
――こう考えてほしい。
西宮硝子が横たわっている姿に、真っ赤な血がなかったら、果たして、彼女は死んでいるのか、単に倒れているだけなのか、視聴者に伝わりにくくなる。
そして、この場面を、鳩の死骸から想起させたいわけなのだから――当然、鳩の死骸にも血だまりが必要となる。
この一連のシーンに、血は必須なのだ。
こういう演出をしっかりすることが、監督や演出家の仕事なのだろう。