その違いは大きい | キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

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・『装甲騎兵ボトムズ』の主人公・キリコは、日本アニメ史上、最も孤独なキャラクターだといわれている。しかし、キリコには、バニラ、ココナ、ゴウトという仲間がいるし、フィアナという彼女までいる。どこが、独りぼっちだというのだ。一方、『ボトムズ』の外伝作『機甲猟兵メロウリンク』の主人公・メロウリンクは、キリコと異なり、本当に孤独である。戦争終結後、亡き戦友たちの無念を晴らすために、かたき相手の元上官を捜し歩いて、一人一人始末していく。その復讐の果てには空しさしか残らないことを分かっていながら……。この『メロウリンク』という作品にカタルシスは一切ない。憎悪の感情にとらわれたメロウリンクの復讐劇が描かれるだけである。戦友愛といえば聞こえはいい。しかし、戦争が終わってもなお、このような殺し合いを続けることに、どんな生きがいを見いだすことができるというのだ? 戦争中の嫌な出来事を全て忘れて、ひっそりと暮らすこともできたはずなのに。憎い上官の所業を「戦争の狂気がさせたこと」として、片づけることもできたはずだ(せっかく、脱走できたのだから、そのまま隠れていてもよかったはず)。この怒りにわれを忘れた孤高の男に、幸せはやってこない。未来への希望もない。たった一人の戦争屋は、その強烈な戦友愛ゆえに、かたき相手を絶対に許さないし、絶対に見逃すこともない。殺して殺して殺し尽くして、自分自身をも殺す。メロウリンクは独りだ。絶対的な独りだ。しかし、メロウリンクはそのことに気づいていない。亡き戦友たちに見守られていると思っている。救いのある孤独は孤独じゃない。真の孤独に救いはない。キリコには救いがあった。メロウリンクには救いがなかった。その違いは大きい。