俺は太陽になりたい。
俺は太陽になりたい。
俺は太陽に守られている。
俺も誰かを守りたい。
脳梗塞で倒れて、救急車で担ぎこまれて
緊急処置室でMRIを撮り
梗塞が見つかったと告げられて
ICUに運び込まれ
完全面会謝絶のまま
医師から48時間絶対に枕から
頭を離してはいけません。
脳の血管が破裂する可能性があるからと言われた。
食事も出来ずもちろんトイレにも行けず
ICUの夜は恐ろしいほど早く静まり返ります。
午後8時には完全に消灯し でもすぐ横の
ナースステーションにはずっと明かりが灯っていました。
頭から話せない枕に信じられないくらいの涙が流れました。
止まることなく、枯れることなく、永遠に流れるのかと
思うほど涙は流れ続けました。
一睡もせず、俺が死ぬということ。藤本孝博が死ぬということ。
俺がいなくなるということ。藤本孝博がこの世からいなくなるということ。
それはどういうこのなんだろう?どういうことなんだろう??
恐怖ではなく、本当に恐怖ではないそれまでに感じた事がない
考えた事がない何かをただひたすらに答えが出るはずもないのに
涙を流し続けながらエンドレスに自問自答していました。
2005年4月20日朝。
九州医療センターのISUの部屋の窓から登る太陽をぼーっと
眺めていた俺は意味もわからぬままに新しい朝を向かえ
何とか自然に泣き止んでいました。
ICUの俺以外の3人の患者さんは朝からの回診で
主治医から病状の説明を聞いていました。
カテーテル治療が必要で万全を期すが100分の1の確立で
上手くいかない事がある。その時は半身不随やそれ以上の
ことも無いとは言えないという説明でした。
本人もご家族も泣きながらその話を聞いておられました。
もう一人の患者さんもその後同じ説明を受けていました。
意識は明快、言語も明瞭、思考もまったく何の問題もなかった俺。
でも右半身は、右手右足右全部ピクリとも動かなかった。
俺はそのカテーテルの恐怖を同じ気持ちで受け止めていました。
二日目も夕方になり早々と静けさがICUを包み暗闇の中で
また昨日と同じように涙がとめどなく流れました。
俺が死ぬということ、藤本孝博がこの世からいなくなるということ。
その自分ではわかり様のない自問を繰り返し
涙が止まることなく4月21日の太陽がゆっくりと昇り始めた時
ピタッと本当にピタッと涙が止まりました。
みなさんわかりますか?
朝が来たのです。俺に新しい朝が来たのです。
それまでの41年間毎日毎日来ていた朝がその日もちゃんと
来たのです。理屈でなく、作り話でなく、何故だかわからないけれど
昇る太陽と引き換えに俺の涙は止まりました。
太陽の力を全身で心で脳で感じ、人生で最高の感謝をしたのです。
俺は知らんかった。太陽が朝を運んで来て
黙って俺に勇気をくれていたことを。
俺は知らんかった。太陽が毎日毎日
俺たちに力を授けてくれていたことを。
俺は無宗教で深い学問もしたことはないけれど
太陽を絶対的に信じる。とあの朝、2005年4月21日の朝
決めました。
俺は太陽になりたい!
黙って朝を運んで来て
必要としてくれる人
それに気付いていない人
区別なく差別なく照らして
草木を育て四季をつくり
毎日毎日朝を運んでくる
ほとんどの人には特に感謝される事もなく
時には『暑っついねん』と文句を言われ
それでも誰も裏切らず
毎日毎日朝を運んでくる。
いつか俺が死んでも必ず朝は来る。
俺は太陽になりたい。
俺は太陽になりたい。
俺は誰かの太陽になりたい。
だから太陽になると決めた!