(10/5 パジャマドライブ湯本亜美生誕公演 キス損MC”最近ハマってること”)
村山彩希『私は、未来のことを考えるのに、最近ハマってるんですけど!』
村山『30年後、』
岩立沙穂『そこまで行く?』
梅田綾乃『結構先、』
みんな『あー(確かに)』
村山『で、それで!』(未来を熱く語り出す彩希)
村山『(7年後)オリンピックがあるじゃないですかぁ?』
岩立『ホントに!?』
村山『なんか昨日お姉ちゃんと話してるときに、もし30年後、プリクラも動いてたらどうする?って話から始まって、そしたら未来のことを考えるのにハマってしまったんですよ!』
梅田綾乃『すごい子供だと思わない?』
前田美月『新幹線が空飛んでるのはすごい子供だと思った!』
村山『でも絶対出来ると思うんです。だから30年後みなさん期待しといてください、ホントに!!!』
橋本耀『30年後』
梅田『どうする?出来なかったら?』
岩立沙穂『まぁ彩希は言ってるだけだから、勝手に期待してればいいんじゃない?』
みんな(笑)
彩希は、相変わらずみんなにいじられてたけど、なんだか興味深いな
30年後ではありませんが、彩希が不意に言った、
”オリンピックが来るじゃないですか?”
の一言。
東京と大阪の間を約2時間30分で結んでいます。
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時代を一気に戻しまして、1959年(昭和34年)、戦後復興もひと段落し、高度経済成長期へと向かっていたこの時、第18回東京オリンピックの開催が決定した。
当時既に、蒸気機関車ではなく電気機関車による高速輸送は行われていたものの、東京から大阪まで約8時間20分もかかっていました。
オリンピックは東京で行うものの、日本に来る外国人は京都や大阪にも観光で訪れることを想定し、”もっと速く結ばなければいけない”との考えが広がり、開催が決定した年に着工、
オリンピック開催直前の昭和39年10月1日に開業した。
あまり知られていないが、当時は東京から大阪まで約4時間で結んでいた。
それでも当時からすれば、
”夢の超特急”
モーターリゼーションの波に乗り、慢性的な渋滞に見舞われたいた東京都心では羽田にあった飛行場から、国立競技場などのオリンピック関連施設の集中する代々木付近に送る際も、ゆうに2時間近くはかかったと言われる。
なんとかこちらも天空を貫く首都高速道路と合わせて、東京モノレールをスピード工事で完成させオリンピックまでに間に合わせたのだ。
言わば、新幹線も首都高も東京オリンピックが開催されるから出来たものと解釈しても言いすぎではありません。
家は平屋の木造、3階建てや4階建てのビルが当たり前の時代。
ビルより高いところに道路が出来たり、東京を都電がトロトロと走っていた頃、時速210キロの弾丸のような速度の電車が走ったり、
今では当たり前の風景も、建設前はそんなこと想像もつかなかっただろう。
恐らく、新幹線や首都高速の計画を知らずに、当時の中学生たちの会話で、
”ビルより高いところに道路が出来て車が走る”
”時速300キロで大阪まで2時間半で行ける電車が出来る”
なんてことを言ったら、みんなにバカにされるのは目に見えてます。
彩希はまさにそれなのかな!?
そして、約14年後、東京名古屋間を約40分で結ぶリニア新幹線の開業が決定し、それが30年後には名古屋から大阪まで延伸し東京~大阪を1時間で結ぶ。
空ではなく、都市部では地下深く(大深度)を走ることで計画されていますが、
彩希の予定では空を飛ぶらしい←
なんだか、興味深い発言してくれてありがとう
みんながどう言おうと、想像しないと、発展は生まれない。
想像するからこそ、進歩する。
未来予想図は大きい方がいいのだから。
ではでは←