震災に思うこと | 日々あれこれ

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たくさんの安否問い合わせとお見舞いのメール、ありがとうございました。

東京もすごい揺れで命の危険を感じましたが、私と私の周辺の人たちは被害もなく無事で、心より安堵してます。

被害にあわれた人のことを考えると痛ましく、悲しい気持ちになります。



震災の混乱がまだ収まらない中、昨日からはや通常通りのお仕事。
東京近郊での宝飾展示販売会に商品を抱えて、えっちらほっちらと出張へ行きました。

通常開催の連絡があった時、中止になると思い込んでいたので、ちょっとびっくり。

テレビの刻々と酷くなる震災情報を見ていると、宝飾品なんて売ってる場合じゃないでしょう!という気持ちになるし、第一お客さん来るんだろうか?と思うし。



けれども、今日の朝礼を聞いて少し考え方を変える。



今回の展示会の主催者は全国に店舗のある某チェーン店なのだけれども、社長さんが来ていて皆に話があった。


いわく、中止を検討したが、やはり通常通り開催することにしたこと。


東北地方の店舗は幸いなことに全社員とその家族の安否は確認されたものの、店舗は被災し、破損の激しい店舗もあり営業再開の見込みは立たないこと。

会社としては被災した社員とその家族の生活を全力で守っていく方針であること。

その為には被災していない地域の社員が力を合わせて売り上げを作り、再建にまわせる資金を確保していかなくてはならないこと。


「皆さんの頑張りが被災した社員の生活を支えるのです。私たちが通常通りの仕事を続けることが本当の意味での災害支援になるということを理解して下さい」




そりゃそうよね。
被災して働けない社員の生活を守るということは、働けるようになるまでお給料を払い続けるということだし、そのお金は空から降ってくるわけではなく、会社の利益からしか出てこないのだから、働くしかない。



大きな事件や震災などがあると、高級品や娯楽などに対し「自粛するべきではないか」という意見が出ることがあるけれど、そういうことを言う人は、それで生計を立てている人々がいて「自粛=お金が稼げない=生活が困窮」という結果を招くこともある、というのを承知で言っているのだろうか?

娯楽や贅沢産業に従事している人々が自発的に「自粛します」というのはアリだと思うが、そうでない仕事をしている人々が「お前、自粛しろ」というのは、何か違うのではないかと思うのだが。


人、それぞれ立場というものがあり、立場が違えば「何が正しく何が間違っているか」ということもまた違うのも当たり前で、自分が理解出来る狭い範囲のみを見てモノを言うのは大変あさはかなことだなぁ、と我が身を振り返った次第。