93歳の伯父が遺した最後の論文 | 藤麻美子の幸せを引き寄せるブログ|丹田呼吸法セラピー代表

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幼少時から可愛がってもらった、宇都宮在住の伯父が、流行り病いで先日93歳で他界。

私が本を3冊も出版できたのは、伯父が何歳になっても本や論文を書き続けていたので、自分にもできるかも

しれないと、思ったのがきっかけ…。^_^

6人もいた父の兄弟は、全員あちらの世界へ旅立つ。

きっと、あちらでは、かつて実家(天童 成生地区)であったようなどんちゃん騒ぎをしている頃だろう、と思うと悲しさや寂しさも和らぐ…。

91歳時にパソコンを駆使して書き上げた、「郷土てんどう」に掲載された論文を1カ月前、偶然伯父のところに4年ぶりで遊びに行き、いただいたもの…。91歳時、最後の論文となった。

92歳で新たなパソコンを購入しており、伯父の頭の中では書きたい文や論文はまだまだあったはず…。

まさか亡くなるとは…。その時はまだ元気だったので、本当に驚いた。

論文を読んでまた驚く…。鎌倉時代、実家のあたりは藤原家の直轄の荘園だったこと。

実家の襲名は、藤がほとんどついていたこと…。

さまざまな思いがよぎる…。

持病があったとはいえ、まさかコロナで…とは。

国語の高校教員を退職したあと、80歳まで国学院短大の講師を務めていた。

辞めた理由が、論文を書く暇がなくなるから、と言っていた。

その後、書籍を何冊か出版、学術論文多数。書籍や論文を何冊かいただいていたが、難解で読めなかったのが多い。民俗学研究者であった。一度、だいぶ昔に、山形長井市の押出し遺跡の研究会の演者として招聘されていたこともあった。

以前、出版社で本を出版する際、返点が4つもある漢文は、伯父にしか書けないので、自分で原稿を書いてくださいと、言われていたこともあったらしい。

13、4年前、私は栃木県への出張ついでに、突然日光に行きたくなり、伯父に日光の二荒山神社に連れて行ってもらった。すると、驚いたことに、伯父は二荒山神社の研究の第一人者であることを知った。

急に訪問したにも関わらず、伯父のために、皇族の方が来た時にしか舞わないという、巫女舞と雅楽の演奏をしてくださった。そして私までお土産を沢山いただいたことがあった。さらに、その年に世界遺産に認定された、橋(石造りの鳥居の上にかかっている):名前を忘れてしまった にちなんだ句の歌集の選者を頼まれて、後に橋にまつわる書籍が出版された、そんなことがあった。

伯父夫婦には子供がいなかったので、私のことも自分の子供のように可愛がってくれた…。

今ごろ、あちらの世界でもパソコン使いながら、久しぶりにせっせと論文を書いているだろう。身体が楽になったと笑いながら…。

きっと誰かの論文にインスピレーションを与えているに違いない。^_^

大好きだった伯父に捧ぐ…。