
今朝の朝ドラを見ていたら、小説家になるために努力したいという人に、「君の小説には強さがない」と伝える場面がありました。そして、その話は「つまり、才能がない」というところにつながっていきました。
「才能」という言葉を聞いて、私は日本舞踊のことにつながりました。
長く踊ってきましたが、ずっと気になっていたのが、
才能があるから、やるのか。
やれるから、才能があるのか。
ということ。
お稽古をしていて、なかなか思うように踊れないと、追い詰められて「私、才能ないからな」と言い訳したくなることもよくあります。
反対に、とても素敵な踊りをする人を見ると、「あの人は才能があるからな」と、簡単に片付けてしまう。
でも、本当にそうなのかな?
才能がある人だから、長く続けられるのでしょうか。
それとも、好きだから、面白いから、悔しいから、何度も何度も繰り返しているうちに、その人だけの「才能」と呼べるようなものが育っていくのではないでしょうか。
もちろん、生まれ持った感覚、姿、身体の使い方など、「才能」と呼びたくなるものはたくさんあると思います。
けれど、舞台で見せる踊りには、その人や一緒に稽古してきた人にしか分からない長い時間があります。
できないことに向き合った時間。
失敗した時間。分からなくなってしまった時間。
それでも、もう一度やってみた時間。
もしかしたら「才能」という言葉の中には、そういう時間まで全部含まれているのかもしれない。
わからないけれど、今日もお稽古をします。
続けられていることも、才能の一部だと信じながら。