前に安部龍太郎の「等伯」を読んだので、今度はライバルである狩野永徳の側から書いたものも読みたくなって、山本兼一の「花鳥の夢」を借りてきた。
狩野派という大集団をひきいる棟梁としての重圧、御用絵師として自分ひとりだけの画業を追求するわけにはいかない永徳。
その点、多少の弟子は抱えていたとはいえ、まだ、等伯は永徳よりは自由な立場にいただろう。
しかし、西洋でもそうだが、大きな仕事をするにはやはり、多くの職人を抱える工房的なシステムがないと不可能だ。
群を抜いた才能の永徳は狩野派のあるべき姿「端正」な絵と、独自の新しい個性を打ち出したい思いとの狭間で葛藤する。
そして、ひたひたと迫り来るライバル絵師の等伯の才能に嫉妬する。
それにしても、現代はいろいろな作品が美術館で保護され、存在を保証されていて、多くの人がそれを見せてもらうこともできる。
が、このころは、時の権力者からの依頼を受け、どんな傑作を描いても、彼らが失脚す
れば戦火に焼かれて焼失する。
足利義輝の依頼で
描いた「洛中洛外図」は、義輝本人は完成を待たずに、滅びた。
信長の安土城に描いた襖絵も焼失した。
狩野永徳「洛中洛外図屏風」
狩野永徳
大徳寺聚光院方丈障壁画のうち花鳥図
永徳「唐獅子図屏風」
大徳寺三門 金毛閣
利休の木像もここにあるので、昨年の秋の京都旅行の時に拝見したかったが、この時期は一般公開はされていなくて残念だった。
長谷川等伯 大徳寺三門障壁画