こんにちは
富士子ベーコンのふじこちゃんです
2月11日の本番に向けて
練習が行われていてね
この子たちの練習とは
できない事を取得したり
できない事をできるようになる事とは違っている
できる自分に戻って
知っている自分にアクセスして
できる自分に
疑わない自分になっていく
ための
取り戻しの時間
立ち上げの時間
練習中は
セリフの意味を考えて
どんな世界か想像して
もっと入り込んで
自分が中心だと思って
と
指導が入る
自分がいる世界は
自分が作り上げる
自分が作り上げた世界を人々は見ていて
自分が意図して作った世界には人の心を動かす力がある
稽古を重ねるとね
子どもたちが出すセリフが
どんどん
変わっていく
台本に書かれた言葉から
意味のある
魂の乗った言葉になっていく
台本にあるというのは
現実で体験したわけではない
それなのに
表現する世界観に引き込まれるのだ
つめ草の舞台は
リアルで華美な舞台装置はない
舞台装置も
見立てつもり
舞台装置ですら
表現者の演技力を要するの
保育園で過ごした日常は
とても幸せな時間だった
と
今でも
子どもたちは口々に言う
毎日歩く散歩道が
どれだけキラキラ輝いていたのか
どんな歌を歌ったのか
今でも兄弟が集まると
そんな話をしている
舗装されていない畦道
雨の後の水たまり
木の間から見える木漏れ日
そこにはいつも宝物があり
世界には宝物が溢れていて
それを楽しむ仲間が隣にいて
さらなる大きな宝物を得るには大人が手伝ってくれて
見ようとする世界を
自分が向かおうとする世界を
毎日広げた6年間
それが
子どもたちの表現力につながっている
指導する先生含め大人たちは
子どもたちの計り知れない能力をよく知っている
大人たちができることは
ここまで
そこから先は子ども自身が自分でやるしかない
自分でやった方が面白い
自分になれば計り知れない能力を発揮する
そんな
保育園で起きていた日常が
この舞台には乗る
子どもたちの純粋な心は
いや
もう
子どもから大人になろうとしている人たちが
子どもだから
ではなく
舞台に立つ
自分たちに内在する力を
見せつけるかのように
人の可能性を
知らしめるかのように表現する
私はもう
練習を見て何度も泣いた
たった一つのセリフが
子どもたちのそれと一致した時
心が震える
自分たちが持つすべてを使って
セリフを放つ
全身でそこに立つ
それを
どのレベルまで
やれるのか
を
毎日稽古している
練習している
表現力がある人というのは
言葉が巧みなのではない
話術が素晴らしいのではない
滑舌がいいのではない
身振り手振りが上手だからではない
どんな背景を持っているか
どれだけ背景を見せられるか
なの
子どもたちの背景には
6年間の日常がある
冒険者たちの舞台には
毎日を幸せに生きるために全力で過ごした背景がある
感動と
生きる指針を受取に
いらしてくださいね
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