先日の大河ドラマ「光る君へ」

20才も年上の宣孝が、かつて、まひろ(紫式部)と恋仲だった

藤原道長に、どや顔でまひろとの結婚報告をするシーンが話題となった。

道長はちょっと悔しそう.

 

道長にはすでに二人の、宣孝には三人の妻がいる。

まひろは正室にはなれない

道長がまだ独身の時、まひろにプロポーズしたのだが

北の方になれないと言われ断ってしまった。

宣孝との結婚でも正室になれなかったのだが

 

鎌倉の北条政子は、頼朝の愛人、亀の前の家を打ち壊し、

火まで放った話は有名だが、実はこれ

「後妻打ち(うわなりうち)」という行為で、珍しいことではなく、

江戸の初期まであったそうな。

それでも一夫多妻が当たり前の時代、

政子の行為は当時でもかなり激しいものだったとか

当時の武家では、身分よりも一番最初に嫡男を生んだものが

正室になったそうで、それで政子が焦ったのだとか、何かで読んだ。

 

昔の結婚制度って、ゆるいのはいいけど、いろいろトラブルが起きそう