7月もそろそろ終わりというのに、
雨や曇りでカラッとした天気になりませんね…!

昨夜「天気の子」という映画を見ました。

ちょっと見るのが遅かったかな?

ずっと雨続きの天候を、
祈りによって晴れにする仕事をする女の子が、
実は「人柱」の宿命を負っていたというストーリーでした。

「人柱」の真偽や歴史については別にして、

「柱」について、
お話したいと思います。

日本人の神さまの考え方は、

いつもそこにおられるのではなく、

「依り代」つまり、

必要な時に、
何かに依って降りてくるというものです。

大きな岩とか木とかがあげられますね。

そして、神さまをを「一柱」「二柱」と数えるように、

柱も依り代と考えられています。

そして、それと同じく、
柱と同じ形、
まっすぐで円柱形のものには、
神さまが降りてくると考えられてきました。

だからお箸や、かんざしなど、

円柱の形で、
先が尖っているものは、

神さまの依代とされ、

特別な力があるとされてきたのです。


わたしが、着物の研究をしているときに、

「着物って、
まるで人を柱にするようだなぁ」と感じました。

デコボコが出ないように、
身体を補正して、

一枚の布でくるっと包み、
帯で結ぶ。

その形はまるで柱のようです。

「そこに神さまが降りてきて、
力を貸してくださるように…」

との願いが
あったのではないかと感じました。

「人柱」は何かのために、
犠牲になった方のことですが、

本来、神さまは、
人の血や死を欲する存在ではありません。

人が柱のように、
軸をまっすぐに立っているとき、
そこに神さまのお力が宿る

わたしはそんな意味でとらえたいと、思っています。


わたしたちは、
いつもしっかりしているわけではなく、
ブレブレの迷える存在だけれど、

それでも、
軸をまっすぐにして、
立ち向かうことができたら…


あるいは、
立ち向かうごとはできなくても、
やっとの思いであっても
立っていたら、


きっと、そこに、
神さまから天啓が降りてくる!

明日を作るアイデアや、

自分の使命への気づきや、

愛する人を守る力を

得ることができる。

そう、わたしは信じているのです。

わたしたちは犠牲者にはならない。

わたしたちが、
柱のようにまっすぐに生きた時、


一人一人が、
人柱ではなく、
神柱になるのだと、

わたしは願うように、
信じているのです。