JR東日本はJR会社として最も多くの路線を保有しており、各地で特急列車を走らせています。

JRが発足して30年以上が経過しましたが、JR東日本は特急型車両を約10年に1度の頻度で投入しており、それぞれの車両には当時の時代背景、JR東日本の設計思想が反映されています。

ここではJR東日本が投入した特急型車両を三世代に分けて解説していこうと思います。

まずは1990年代前半に投入された第一世代の特急型車両を紹介します。

 

 第一世代の特急型車両の特徴

1990年代前半に投入されたJR東日本の特急型車両の特徴は「奇抜・斬新なデザイン」と「高性能」です。

JR東日本に限らず、当時のJR会社に課されていた使命は「国民の鉄道離れを防ぐ」ことでした。

国鉄時代はまともな交通機関が鉄道しかなく、放っておいても列車に乗ってくれる状態でした。

しかし、一般道、高速道路網が整備されると特急より安くて所要時間もあまり変わらない高速バスが台頭してきました。

更に経済発展によって一般庶民でも自家用車が買えるようになり、自分で車を運転して移動する人も増えました。

また、航空便も発達し国内移動に飛行機を使用することも一般的になりました。

車、バス、飛行機と移動の選択肢が増えた中で、いかに鉄道を選択してもらえるかを当時のJR各社は模索していました。

そんな中、JR東日本は「奇抜・斬新なデザイン」と「高性能」を取り入れた特急型車両を投入し、車や飛行機に対抗しました。

 

まずデザインについてですが、国鉄時代の車両は基本的に同じような見た目をしており、代わり映えがしませんでした。

特急列車に関してはヘッドマークで列車を識別するしかありませんでした。

そんなデザインの車両ではバスや飛行機に埋もれてしまうため、JR東日本は列車ごとに異なったデザインの車両を用意し、更にインパクトを与えるため独創的なデザインの車両が多く誕生しました。

列車と車両のイメージを結びつけ、従来のイメージに囚われないデザインを採用することで、特急列車の存在感を高めようとしていました。

▲国鉄時代の特急列車は基本的にこんな顔でした。

マニアにはウケますが、一般人の目線からしたら「地味」ではないでしょうか。

 

次に高性能についてですが、これは高速バスに対抗するため性能の強化が図られました。

高速バスが走る高速道路は新しい土木技術で建設されたため、カーブが少ない直線的な路線でスピードが出しやすいです。

一方、在来線は基本的に古い土木技術で建設されたため、カーブが多くスピードが出しにくい構造となっています。

そのため、高速バスと特急列車の所要時間の差が埋まりつつありました。

そこでJR東日本は車両の性能を向上させ、スピード面で高速バスに対抗していました。

 

 

651系(1989年デビュー)

▲従来のひたちとの差別化を図るため列車名に「スーパー」が冠されました。

<2013-01-13・上野>

JR東日本最初の特急型車両として登場したのが651系でした。651系は上野からいわき・仙台を結ぶ常磐線特急「スーパーひたち」用の車両として導入されました。

651系の最大の特徴は最高速度であり、高速バスに対抗するため在来線特急としては初の最高速度130km/h運転を実現しました。

また、外見のデザインも非常に斬新で、ほぼ白の車体に485系を彷彿とさせるボンネット、巨大なLED表示器など従来のイメージを一新するデザインでした。

剣持デザイン研究所が担当したようです。

登場時には「タキシードボディのすごいヤツ」というキャッチコピーが与えられていました。

 

車内はビジネス客をターゲットにしており、全席に読書灯が設置されていました。

当時グリーン車には衛星放送受信サービスが提供され、車内には公衆電話が設置されていましたが後に撤去されています。

 

長らく常磐線特急「スーパーひたち」として活躍していましたが、2013年に常磐線特急の車両が全てE657系に統一されるに伴い常磐線特急からは撤退しました。

一部の編成はいわきから竜田の普通運用に充てられていましたが、2020年の常磐線全線復旧に伴い引退しました。

 

その後、上野から長野原草津口や前橋を結ぶ特急「草津・あかぎ」用の車両として2014年から運用を開始しました。

この転用にあたって、交直流車両から直流車両に改造され、赤いラインが一本追加されました。

2023年にE257系2500番台・5500番台に置き換えられ完全に引退しました。

▲晩年は群馬県で活躍していた651系1000番台。

<2014-08-03・新前橋~井野

251系(1990年デビュー)

▲「移動を楽しませる」ことに徹した最初の車両ではないでしょうか。

<2017-08-31・国府津>

251系は東京から伊豆急下田を結ぶ特急「スーパービュー踊り子」用の車両として導入されました。

当時伊豆へ向かう特急列車には185系が使用されていましたが、観光地伊豆に向かう特急列車としては華の無い車両でした。

そこで、伊豆へ向かう道中も楽しめる車両として251系が設計されました。

設計コンセプトは「列車に乗ったらそこは伊豆」でした。

 

「スーパービュー」の名に恥じず3両がダブルデッカー、7両がハイデッカーとなっており、眺望性には最大限の配慮がなされていました。

フロントのデザインも巨大な1枚ガラスが特徴的な斬新なデザインが採用されました。

車内にはグリーン個室、サロン室、子供用のプレイルームが設置され、従来の車両とは比べ物にならないほど豪華な造りでした。

 

伊豆観光の看板列車として長きにわたり活躍しましたが、登場から30年近くが経過すると老朽化が目立ち、痛々しい姿を晒していました。

2020年に引退し、伊豆の豪華アクセス特急はE261系「サフィール踊り子」が引き継ぐことになりました。

 

253系(1991年デビュー)

▲成田エクスプレスの運用に就いていた0番台。赤と黒を効果的に配色したデザインは大きな注目を集めました。

<撮影日不詳・大宮>

253系は首都圏各所から成田空港を結ぶ空港アクセス特急「成田エクスプレス」用の車両として導入されました。

1991年まで成田空港に乗り入れる鉄道線は京成線しかありませんでしたが、成田新幹線の遺構を活用した成田空港線の開業により、JR東日本も成田空港アクセス事業に参入しました。

253系のデザインは白、赤、黒、灰色を効果的に配色しており、「N’EX」のロゴも配されました。

このデザインはGKインダストリアルデザインが担当しました。

外部企業にデザインを委託したというのも、国鉄時代にはできなかったことでしょう。

 

車内は空港アクセス列車ということもあり、スーツケースなど大きな荷物を置くためのスペースが設置されました。

また、グリーン個室も用意されるなど豪華な造りとなっていました。

一方、普通座席は荷物を置くスペースを確保するため、ボックスシートが採用されましたが、これはかなり不評でした。

荷物棚は飛行機同様蓋つきの棚が採用されました。

 

253系は成田エクスプレスの増便に伴い、2002年まで製造し続けられました。

そのため、製造された年によって仕様変更がなされています。

特に2002年に製造された車両は普通車の座席はリクライニングシートに変更され、荷物棚も一般的な荷物棚に変更されました。

▲初期に投入された0番台の車内。特急車両ながら固定クロスシートが採用されました。

当初はボックスシートでしたが、後に真ん中の座席のみが向かい合う集団お見合い式に変更されました。

一方、飛行機のような荷物棚が採用され、読書灯が設置されるなど天井部分は無駄に豪華でした。

 

成田エクスプレスとして活躍した253系ですが、最後の車両が製造されたわずか7年後に後継車両であるE259系の導入が決まりました。

2010年に成田エクスプレスの運用からは撤退しましたが、253系は現在も活躍を続けています。

最後に製造された200番台はJR・東武直通特急用の車両として1000番台に改造されました。

貫通扉が廃止されたり、LED式の全面表示器が取り付けられるなど、かなり大掛かりな改造が行われました。

▲「日光・きぬがわ」に使用される1000番台。

<2014-09-27・甲府>

 

また、3両2編成が長野電鉄に譲渡され、「スノーモンキー」として活躍しています。

こちらは大規模な改造が行われておらず、成田エクスプレス時代の面影を今に伝えています。

車内も基本的にJR時代のままで、グリーン個室は「Spa猿~ん」という愛称が付けられ1000円の課金で利用できます。

▲長野電鉄2100系として使用されている253系。

E2編成は塗装が変更されていますが、253系の雰囲気は失われていません。

<2024-01-14・信濃竹原>

 

255系(1993年デビュー)

▲「Boso View Express」の愛称が付けられ房総特急の顔として活躍しました。

<2018-10-08・物井~佐倉>

255系は「さざなみ」、「わかしお」などの房総地方向けの特急用車両として導入されました。

当時房総地方では東関東自動車道や東京湾アクアラインなど道路網が急速に発達しており、房総特急のイメージアップを図るため投入されました。

都市圏輸送と観光客輸送の両方に対応した車両として設計され、これまでJR東日本が導入した特急車両の要素を取り入れた構造となりました。

登場時は「ビューさざなみ」、「ビューわかしお」として運転されており、眺望性を強調した構造となっています。

全面には巨大な一枚ガラスが取り付けられ、客室も大きめの窓が設置されました。

塗装は白、青、黄色が採用されました。後に千葉地区の普通車両にも採用され、「房総色」と呼ばれるこのカラーリングは255系から始まりました。

地域の特色、イメージをデザインに反映することも国鉄時代にはあまりなかったことです。

 

車内は従来の車両に比べると簡素な造りとなっています。

特にグリーン車は普通車と同じ2+2の配列が採用されました。

座席定員を確保するための措置で、後のJR東日本の特急型車両のグリーン車は基本的にこの配列が採用されています。

 

元々「さざなみ」や「わかしお」の運用がメインでしたが、現在は東京から銚子を結ぶ特急「しおさい」がメインの運用となっています。

「さざなみ」、「わかしお」でも使用されていますが少数派です。

JR東日本第一世代の特急車両で唯一初期投入された線区が活躍し続けた255系ですが、2024年のダイヤ改正でE257系500番台、E259系に置き換えられる予定です。

 

 

E351系(1993年デビュー)

▲JR東日本最初で最後の振り子車両でした。

<2016-02-25・長坂~小淵沢>

E351系は東京・新宿から松本を結ぶ特急「スーパーあずさ」用の車両として導入されました。

E351系も中央自動車道を走る高速バスに対抗するため、651系同様最高速度は130km/hとなっています。

しかし、比較的平坦な常磐線に対し、中央本線はほぼ山間部を走るため普通の車両では130km/hを出すことはできません。

そのため、E351系にはJR東日本初の制御付き自然振り子装置が搭載されました。

これによりカーブでも高速度を維持することができ、最速の列車は新宿から松本までを2時間25分で結んでいました。

なお、当形式からJR東日本の車両には「E」が冠されるようになりました。

 

デザインは剣持デザイン研究所が担当しました。

卵のような前面デザインと巨大なLED表示器が特徴的です。

 

車内は振り子式車両であるため、一般的な車両に比べ狭くなっています。

 

「スーパーあずさ」として中央本線の山間部を駆け抜けたE351系ですが、中央本線特急の車両がE353系に統一されるのに先駆け、2018年に引退しました。

また、E351系以降JR東日本では振り子式車両が導入されることはありませんでした。

 

 まとめ

JR東日本第一世代の特急型車両はほぼ全てが引退しているか、新天地で余生を過ごしている状態です。

登場から30年以上が経っているため、第一線から退いているのは仕方ないでしょう。

また30年以上前の車両のため公衆電話や自動販売機など、現在の車両ではまず搭載されていない設備が設置されていました。

一方車両のデザインはどれも攻めており、現代の感覚でも古臭さを感じません。

1990年代前半ということもあり、どことなくバブルの面影も感じます。

既に殆どの列車が引退したJR東日本第一世代の特急型車両ですが、国鉄からのイメージ脱却には大きく貢献し、後輩の車両たちにうまくバトンを渡したと思います。