つたないブログにご訪問頂き、
 真にありがとうございます。

 学んでいる瞑想が、少しずつ日々の日常の中に浸透して
 いったとき、ある「気づき」がありました。
 本当に些細なことなのですが。
 
 それは、以前の記事に書いた
 
 ~歩行中、前から歩いてくる人が横に広がって来ると、
  自分への配慮が足りないと感じ、
  反応的・対立的に敢えてよけようとせずに行ってしまう・・
 
 ということです。
 これは、朝のラッシュ時、駅のホームでも時々あります。
 でも・・ふっと気がついたのですが、
 自分が敢えてよけようとせずに行くから
 相手もそうなるのでは??
 
 そういうときの自分の顔は、きっと無表情で
 口がへの字になっているのではないか・・
 無表情で対立的な雰囲気が相手に伝わって
 相手も同じ反応になるのではないだろうか?
 
 何となくそう感じ、
 それからは、意識して口角を上げるようにしています。
 口角を上げると、顔に表情がでて
 無表情から、多少、人間的な感じが出て来ます。
 (鏡で見て試してみましたが)
 あと、せっかくですから、私の細い目も
 少しだけ、大きく開くようにしてみました。
 
 そうすると、その時だけは意識が口と目に行くため
 内面で感じていた対立や紋々とした感情から
 一時的に離れて、何となく軽くなるというか・・
 そんな感覚です。
 
 それからは、相手に負の感情を感じても
 口角と目を意識している間は、
 自分の意識全体が外に向いて
 自然に相手をよけるようになります。
 面白いもので、こちらがよけると相手もよけます。
 そんなもんですね。
 そんなことすら、心が硬直して不器用になっていた。
 だいぶ、被害者意識が深く浸透していたのだと
 実感しました。 
 
 それは、思いやりを持つとか、心配りをするとか、
 そういう頭で考えた思考での判断ではなく、
 自然な、普通なこと。
 雨が降れば傘を差し、雨が止めば傘を閉じる。
 そんなことなのだと感じました。
 自然でない、囚われた思考からくるクセ。
 
 ささいなことですが、
 昔からの悪い習慣(クセ)がひとつ消えました。
 

 あと、呼吸法の瞑想をしながら

 口角を上げる、目を少しだけ大きく開く を意識すると

 身体感覚へ意識が向いて

 自分の負の感情や思考から離れやすくなりました。