つたないブログにご訪問頂き、
 真にありがとうございます。
 
 以前にも書いたと思いますが、
 高校生の頃、メンタル不安定の中
 「森田療法」というノイローゼ療法に
 強い興味を持っていました。
 大正時代の精神科医の方ですが、
 その療法のベースにあるのは
 「禅」を日常生活に体現していくという
 ものだったと記憶しております。
 
 現在も多くの病院で治療法として実施されて
 おります。
 高校生の時に読んだ本の記憶なので
 細かいところで齟齬があるかもしれませんが・・
 (注意しながら記述します)
 
 始めの一週間は「絶対臥褥」という期間で
 一人個室で何もせず、ただ横になっている
 というものです。
 テレビも電話(スマホ)もなく、
 読書やその他気晴らしもなく、
 ただ横になっている・・
 
 その後、日常の軽作業に入っていきます。
 始めは、ひとりで行う作業から
 徐々に他の治療されている方々と一緒の
 作業になっていきます。
 
 大正時代の森田博士が実践されておられた時期は
 奥様と共に入院されている患者さんたちの指導を
 されておりました。
 食事の支度、掃除洗濯、その他様々な日常作業を
 共同で行っておりました。
 
 日常作業をしながらも、不安に「囚われ」てしまい
 作業に傾注できない、入り切れない状態の方に
 声をかけ、一緒に作業していく、
 今の目の前の動きにふっと入っていく
 その体感を
 入院期間中に身に付けていくというものです。
 
 確か、読書恐怖症の方の場合、
 読もうとせずに、ただ本を見ている・・
 するといつの間にか、ふっと読書を始めている。
 
 始めの1週間の「絶対臥褥」の期間も
 その人が本来、自然に持っている
 体を動かしたいという欲を
 発動させるための準備期間ということのようです。
 
 囚われから離れ、ふっと目の前の動きに入る・・
 それを繰り返し、繰り返し体感することで
 「囚われはあっても構わない、気にならない」
 というように症状が軽減していく、
 或いは消失していくということです。
 
 
 森田博士の
  森田療法の本に書いてあったことで
 とても印象的に記憶に残っているのは、
 「今に生きる」
 「自然に服従し、境遇に従順であれ」
 「事実唯真実」

 という言葉です。
 
 「今に生きる」は、私のブログのサブタイトル
 にさせて頂いております。
 
 
 「自然に服従し、境遇に従順であれ」は、
 今の私では解釈しきれない本当に奥が深い言葉です。
 ただこのところ、少しだけ、感覚的につかめてきた感
 があります。
 
 自分の感情や思考は、意思とは無関係に自然に発生してしまう。
 自然に発生したものは、あるがまま受け入れる。
 
 自分の境遇もまた、自分の思い通りにはなり得ない。
 思い通りにできない境遇もまた、あるがままに受け入れる。
 
 
 「事実唯真」ですが、
 そのままいえば、「事実こそ唯一真実」ですが
 自分の内面の感情や思考、
 或いは周囲の環境で起こった事象は
 ただ起こっているという事実があるのみ。
 それをただ観察している(観ている)
 
 そこには 
 感情~喜怒哀楽や
 思考~評価、思想、社会的常識・価値観は
 ただ、そこにあるという事実があるだけで
 そこに「囚われ」は、ない。
 すべては変化(無常)し続けている流れの中にある。
 
 
 仏教の教えは奥深く、
 自分の気づきのレベルの進捗により
 解釈も変わっていくものなのでしょう。