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 伊藤允一(まさかず)さんの瞑想は別名
 「気づきの瞑想」
 とも言われますが、
 呼吸や身体の動きを丁寧に感じとり、
 その感覚を意識することで
 ネガティブな感情や思考から離れる・・
 さらに、だんだんと
 ネガティブな感情や思考を観察している感覚・・
 いわゆる「俯瞰して観る」ことが
 できるようになるとのことです。
 そうすることで
 人が本来もっている知恵、洞察力が
 だんだんと醸成され育ってきて
 自ら、「今、最善の選択をしていく」
 生き方に変っていく、
 ネガティブな感情や思考はあっても問題ない感覚・・
 さらには
 気にならない状態になっていくということです。
 
 
 ここからは、実際の私の体験を記します。
 自分で言うのもなんですが、とにかく被害者意識が強く
 その囚われ方は尋常なものではなかった・・ということに
 気が付いてきました。
 例えば・・
 ・歩行中、後ろから人が速足で近づいてくると
  追いかけられているように感じていた。
 ・歩行中、前から複数の人が横に広がって歩いて来ると
  (気を使わない奴らだ)と感じてわざとよけない。
 ・職場内で大きな音を立てたり、大きな声で話す人に対して、
  怯えと同時に(うるさい!もっと気を使え!)という
  強い憤りを同時に感じていた。
 ・帰宅電車の中でシートに座っていて、前に座っている人が
  足を組んで、落ち着きなく足先を足首からグルグル回して
  いると、挑発しているように感じて憤りを感じた。
 など、本当に普通の人では余り考えられないような感覚が
 常態化していました。
 それが、気になっても、そのままにしておいて、
 そのうち、気が付かないうちにその感覚が通り過ぎていく・・
 感じていても、気にならなくなっていくようになりました。
 
 また、今まで日常的だったザワザワ感、切迫した感覚も
 気になっても、知らず知らずに気にならなくなっていくように
 なりました。
 
 その効果か、落ち着いた感覚を保てるようになり、
 仕事も人に対する姿勢も、前向きに切り替わってきました。
  
 学んできた呼吸をしながらの瞑想、
 身体の感覚を意識した瞑想を随時行うことで、
 感情や思考の囚われから、少し離れることができるように
 なってきたからだと気付きました。
 
 この体感は、今までの私にとって
 本当に得難い体験となりました。
 確かに、そうなってきた・・
 
 その体感を実感できたことは、
 そして、それを継続的・意識的に
 体現できるようになってきたことは
 5か月前からのメンタル地獄に陥っていた私にとって
 心の底からの喜びとなりました。
 
 但し、この体感は習熟度があるように感じます。
 いまはその入口であり、
 更に深い体感、気づきへとつながっていくように
 感じています。