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 45年ほど前、ちょうど高校生の頃、
 密教系の新興宗教に興味を持っていた。
 いわゆる超能力ブームの火付け役ともいえる教団であった。
 私は4年ほどその教団に入信していたが、
 元はと言えば、超能力への憧れと共に
 教祖様の初期の著書である
 「変身の原理」
 という本に魅せられて入信したのだった。
 
 その著書を通じて、当時はあまり耳にしない
 チャクラ、クンダリーニ、瞑想、ヨーガ
 といった神秘の世界を初めて知る事ができた。
 また、仏教の教えの初歩も学ぶことができた。
 
 その中で、つい最近 ふと思い出したのが、
 「タンハー」
 という言葉である。
 
 タンハーをWebで調べると
 
 ”taṇhā(タンハー)とは
 「渇いている」「満たされていない」「ほしい」
 という生命の根元的な欲望で
 「渇愛」
 と訳される”
 
 とあるが、その当時読んだ著書の中には
 「激しい喉の渇きのごとき念 執着」
 という様な説明だったと記憶している。
 
 人間の根元には、そのような執着があり
 亡くなった後も タンハーが残っているが故に
 転生を繰り返すという。
 仏になるということは
 その激しい渇望の念、
 執着囚われから解脱するということだろう。
 
 仏教用語の勝手な自己流解釈として
 ご容赦頂きたいところだが
 人の深層意識に存在するタンハーというものは
 その人間固有の根元であると共に
 全人類の集合意識
 宇宙の根元
 ともつながりを持っているのだろう。
 
 タンハーがあるが故に
 転生=ストーリー が連綿と続いて行き
 それが、人を通じて
 宇宙の根元の一部として
 「体験していく」
 という事になるのだろう。