最近、話題になっている福岡県の、願書出し忘れ問題。

 

どうしても意見を言いたくなって

ブログを書きます。

 

この問題については

ネットニュースを何度か読みました。

最初に読んだ時から

思うことはありましたが、

さきほど↓下の記事を読んで

やっぱり意見を言いたいと思いました。

 

 

 

担当者の“願書出し忘れ”で生徒が志望高校受験できず、中学校側「和解金30万円」を提案...校長「二度とくり返さない」 (msn.com)

 

 

 

出願が締め切りの時間に間に合わなかったという理由で断った高校が

特別な組織である、というのは↑この記事で初めて知りましたが、

正直そんなことはどうでもいいんです。

 

 

特別な組織だから、とか、時間に遅れた前例がなかったとか

そんなことどうでもいいんです。

 

 

なにより重要視するべきは

受験生の気持ち。

 

 

出願するということは、

その高校受験に向けて

ずっと勉強を頑張ってきていたということ。

 

 

その高校を目標に頑張ってきた期間は、3年間だったのかもしれないし、

(もしかしたらもっと前からかもしれないし)

やっと成績が上がってきたから

その高校を受験できそうだ、として

出願直前になんとかこぎつけたことかもしれないし、

その生徒の状況は分からないにしても

とにかく努力をしていた、

受験して合格を夢見ていた、

という、そのことは

教育に関わる人なら必ず尊重して

夢実現へできる限りの努力をして協力しなくてはいけない。

 

 

子供たちの夢は尊いです。

もちろん、家庭の経済事情とかどうしても避けがたい事情とか

そういうことによって

諦めざるを得ないこともあります。

 

 

でも、出願準備までして

もう準備は整っていた。

 

 

あとは受験するだけだったのに、

それを打ち砕かれた子供たちの気持ちを思うと

切なく、心配になります。

 

 

私は過去の塾の生徒で

ある夢を持って高校に入ったのに

ある一人の学校の先生の意見で

その夢が叶わなくなり、

不登校になり、高校を中退してしまった生徒がいました。

 

 

ものすごくかわいそうでした。

ものすごく切なかったです。

 

 

その生徒の胸の内を聞いてつらかったし、

学校側の態度や言い分を聞いてがっかりしました。(←生徒から聞いた話)

 

 

その高校は私の出身校でもあり、

その生徒がもめている当時、

私が高校在学中にいた先生で、

まだその高校に勤めている先生が一人いて

(生徒ともめていた当事者の先生ではありません)

仲良く話できる先生だったので

その生徒の件について聞いたこともあります。

 

 

先生は多くは語りませんでしたが、

ひとつ私がショックを受けた言葉があります。

私は

生徒が「(不当に傷つけたのに)学校が謝ってくれない」と言っていたので

「なんで謝ってくれないんでしょうか」というふうに

仲良しの先生に聞いたことがありました。

そのとき先生は、当事者の先生に寄り添いたかったからか

それとも学校の言い分に共感していたからか分かりませんが

「謝ったからといってどうにかなるか?」

って言ったんですよね。

 

 

学校では

道徳の授業で、悪かったらごめんねと謝ろう、と教えているはず。

そういう小さい子供でも習うようなことすら

覆してしまう学校内部の考え方にがっかりしました。

しかも、仲の良い先生で良識あると思っていた先生からのその言葉に

どういうことなんだろうか、と困惑するくらいの気持ちになりました。

 

 

中退してしまった生徒はなにも変なことは主張していなくて

単に高校に入学すれば誰でも手に入れられる権利を

一人の学校の先生の意見だけで奪われてしまって

夢破れ傷つき、

せめて謝ってほしい、とお願いしたら

それすらも断られる、という謎な状況でした。

学校をやめたいというのも

なかなか認めてくれなくてすべてがかわいそうでした。

 

 

これはものすごく前の話で

今の時代ならせめて謝ってくれるだろうとは思いますが

そのときの学校側の態度は頑なでした。

(ちなみに、このことは私の大事な生徒や仲の良かった先生の話も含まれるため

話したことがありませんでした。

もう、本当に随分前の話で、勝手な私の解釈ではありますが、

ここまでなら書いてもいいんじゃないかと思える範囲で書いていきます)

 

 

私はその生徒の話はたくさん聞きましたが

(ちなみにものすごくまともな考えを持っているしっかりした生徒です。

性格もものすごくいいです。

その後、高卒認定試験に合格し、国立大学に進学・卒業していて

人並外れた努力ができることも知っています。)

学校の言い分や態度が謎で

なぜ謝らないのかについては

もしかして訴えられたときに非を認めた、みたいにとられるから

謝らないんだろうか、ということしか思いつきませんでした。

 

 

とにかく、自分たちの権威みたいなものを崩したくないのかな、と思いました。

 

 

私は生徒の心が壊れたことも知っています。

夢見ていたことが打ち砕かれるということのつらさは

経験した人にしか分かりません。

実は私も内容は異なりますが

自分の意志だけでは変えられない

他者の意志が影響して夢がかなえられない、という

同様の経験をしたことがあります。

私は生徒の話を聞きながら

私の経験はその生徒の気持ちを知るためには必要なことだったのかな

なんて思ったことを覚えています。

 

 

とにかく、夢を奪う、というのは大変なことです。

夢あふれる若い世代を守ることが

大人の役目であり、

それが明るい社会の発展にもつながると思います。

 

 

もちろん、受験後の結果は

それぞれの受験生次第ですが、

夢を叶えるための受験はせめてさせてあげなきゃいけない。

 

 

出願期限を勘違いした先生にも責任はありますが、

究極を言うと、誰にでも間違いはあります。

(私は、家を建てたときに、こんなにミスしたことはない(20か所くらい)、と本人がいうほど

ミスをたくさんされた担当者に、「ミスは当たり前にある」と逆ギレされたときには

さすがにそれはお前が言うな、とツッコミ入れたくなりましたけどね(^-^;

↑誰にでも間違いはある、という言葉でどうしても思い出してしまう悲しきトラウマ(^-^;

ちなみに、私の破れた夢は、家のこととは全く関係がありません)

 

 

私が読んだ記事によると、

期限に遅れたのは数時間。

もちろん、遅れたのは問題だと当の先生や学校に言ってくれるのは自由ですが、

そこは今度からはそういうミスはないように、ということで

許してもいいんじゃないでしょうか。

犯罪でもない、ひとつのミス。

許しを与える社会にしなきゃいけないんじゃないでしょうか。

なにより、その裏に、若い子供たち3人の夢が詰まっている。

そのことを考えれば、なんの罪もミスも犯していない子供たちの夢を守るために

前例がない、とかいうちょっとしたことは

今回だけは無視をして

見逃してあげて

動いてあげるべきだったんじゃないかと思うんですよね。

 

 

前例がないからそれは譲れない、と頑なになる必要がどこにあるんでしょうか、

と思うんですよね。

 

 

最近、徳島のタブレット問題があって

それも前から物申したいところはありました。

ほんとにひどいタブレットなんです。

よくこんなタブレットを採用したな、とどうしても思ってしまいます。

故障しなくても使いづらいタブレットなんです。

30年前のパソコンを思い出すほど動きが重たいです。

 

 

本当に子供たちに良い教育を、と思うなら

採用しないようなタブレットだとしか思いようがないです。

ただ、誰も文句言わないんだなと思っていましたが

急展開でみんな不満に思っていたことが分かりました。

 

 

私はずっと徳島市長かそういう人たちが

そのタブレット採用を決定したものだと思っていました。

まさか、教育長がその権限を持っていたとは驚きです。

私は過去に、

両親とも学校の先生である友人から

年末年始とお盆は

教育長の家には教員の人たちの行列ができるらしい、と聞いたことがあって

教育長の人ってそんなに偉い人なんだ、と驚いたことがあります。

それは私が子供のころの

数十年前の話です。

今は絶対そんなことはないですが、

教育長ってそんなに力を持っていたんだというのは

焼きついています。

 

 

時代は変わって今は違うにしても

おそらくですが、田舎の徳島、古い体制はどこかに残っています。

コロナ対策のときにも徳島って遅れているんだな、とか、

色々感じました。

古くていいものもありますが、新しく取り入れなきゃいけないものもある。

権威を守るためではなく、子供たちを守るために変わらなきゃいけないことは

変わっていってほしいです。

 

 

話が長くなって話題がコロコロ変わって申し訳ないですが、

いじめ問題についても

よく自治体によっては事実を隠す、とか、

いじめが原因だったかは分からないという文言とか

そういうのをよく見かけますが、

教育委員会の古い体制を露呈していると思うことがあります。

 

 

もうそういうのはいいじゃないですか、って思うんですよね。

どうしても、「長」と名のつくものには

年齢が高い人がついて、

今の時代についていけない方もいる。

そういう人が自分の権威を守ろうとした場合、

色々ややこしいことが起こるな、っていうのは思います。

政治もそうですけど。

 

 

時代に合った、そして、子供たちを全力で守れる社会になっていってほしいです。