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(現場での事実を記した碑)

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これは 「 アライメント屋の うろ覚え 」

により 書いてますので

「 アライメント屋の

                脚本にてのフィクション 」 

くらいに思ってください

          もし御興味が出れば 

            きちんとした文献にて

               事実を御確認下さいね

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慶応4年2月23日(旧暦)

 

場所は 堺 「 妙国寺 」

 

 

事前に 膳が用意され 

 

一同に ふるまわれる

 

これを 平然と平らげるのが

 

「 美徳 」 だそうです

 

早めの 昼食が住めば 

 

もう 正午に近い ・・・

 

「 細川 熊本藩 」 と

 

「 浅野 広島藩 」 の 両藩は

 

整然と 美しく 儀式の場を

 

整え終えており

 

本堂から 20人一同 駕籠に乗り 

 

いよいよ 切腹の場へと 移動となります

 

これも 相当 「 位の高い切腹 」 となりますね

 

何故 駕籠に乗るかというと

 

「 妙国寺 」 は この時代

 

今よりずっと 大きな敷地で

 

本堂より 切腹の場まで 

 

距離があるのが 一つと

 

それから 妙国寺側が

 

「 寺での埋葬を断った !!! 」

 

からですね

 

なぜかというと

 

「 妙国寺は 非常に由緒正しい

     格式の高い寺である そこに

          罪人の埋葬などお断りする 」

 

と言われ 困っていると

 

向かいの 「 宝珠院 」 が

 

「 ならば 当院にて 引き受けよう 」

 

と 言って頂き

 

切腹後の遺骸は 

 

向かいの宝珠院まで

 

駕籠にて 運ばれる手筈と

 

なっていました

 

(現在の宝珠院は 「 宝珠学園幼稚園 」 と

なっており 園内に十一士のお墓が在ります)

 

いよいよ ・・・・

 

となったとき にわかに 

 

天が かき曇り 豪雨となり

 

切腹は 一時延期となりました

 

この 「 突然の豪雨 」 も

 

2時間ほどで 止み

 

再度 場を整えれば 

 

時刻は 午後 3時頃

 

「 箕浦猪之吉 」 

 

名前が呼び出され

 

正装した 「 箕浦猪之吉 」 が

 

場に着くと 正面には 

 

「 日本側 見届け人 」 と

 

「 フランス側 見届け人 」

 

が 見ております ここで 大声で

 

「 フランス人 良く見とけ

  俺は お前の為には 死なん !

            ただ 日本の為に死ぬ

                    日本武士の切腹を

                        良く見とけ !!! 」

 

(細かい文言は正確では在りません)

 

と 言うや 左わき腹に 短刀を 突き立て

 

下向きに 約10cm弱 切り下げ

 

右に引き回し 

 

右わき腹から 今度は 10㎝ 引きあげた

 

大きく開いた 傷口から 

 

手を差し込み

 

内臓を引きずり出し

 

フランス人を 睨み付け

 

介錯となったのだが

 

ここで 「 介錯人 」 とは

 

「 専門のプロ 」 が 行うような

 

イメージが在りますが

 

実は  

 

「 自分が気心の知れたもの 」 に

 

頼むんですね ・・・

 

なので もちろん 

 

「 初めて介錯する 」 でしょうから

 

一度 介錯したのですが 浅く

 

もう一度 行っても 骨に阻まれ ・・

 

ここで 本人が

 

「 まだ 死なんぞ!

             しっかり切らんか ! 」

 

と 大声で 介錯人を叱咤した 

 

もうねえ 「 凄まじい凄惨さ 」 です

 

「 人間が こんなこと 

             ほんとにできるのか ? 」

 

という 凄まじさです

 

3度目に やっと 首を切り落とし

 

「 箕浦猪之吉 」 の 苦痛は

 

やっと 終わりを迎えることが

 

出来ました

 

見ていた フランス艦長 は

 

とても 見ていられず

 

「 立ち上がってしまった 」 ようです

 

凄まじい現場を 目撃して

 

ショックの大きい 

 

フランス人を 無視して

 

日本側は 遺骸を甕に入れ

 

駕籠に乗せ

 

血まみれの現場を 手早くかたずけ

 

あっという間に

 

真新しい 儀式の場が現れます

 

次は 「 西村佐平次 」

 

こちらは 短刀を 腹に当て

 

突き刺したところで

 

介錯人が 一刀のもと 首を落とします

 

この時 

 

「 首は 数メートル転がった 」

 

そうなので

 

フランス人側からすると

 

「 首だけが 飛んで 襲ってくる 」 ような

 

恐怖感を抱いたかもしれません

 

もう 声も出ないフランス人たちを

 

気にすることも無く

 

粛々と 当然のように

 

儀式は進んでゆきます

 

次々に 

 

本人により 腹部が開かれ 

 

介錯人により 

 

「 落とされた首が 

             自分に飛んでくる 」

 

地獄のような時を 経て

 

どんどん 日は落ちてくる ・・

 

ふと

 

「 ここまで 残忍な 戦闘集団の

       ど真ん中に 自分たちはいる 」

 

という 事実に

 

「 一つ間違えば 恨みは 

     自分たちに向かい 惨殺される 」

 

という 恐怖感 もあったでしょう

 

十一人目の 切腹が終わったところで

 

フランス人たちは

 

無言で 立ち上がり

 

足早に 立ち去ろうとして

 

十二人目の 「 橋詰 」 が

 

( 衣服の) 腹を 開いたところで

 

「 しばらくっ 」 と 役人の

 

「 待った 」 が 入ります

 

フランス側に 

 

「 見届け人がいないと 

                      切腹が出来ません 」

 

と なじると

 

「 もう 良いです 十分です

    あとの人は 助けてあげてください 」

 

と 言い残すと 

 

門を出て 船の方へ 

 

小走りに 帰ってしまいました

 

「 残された 九人 」 は

 

「 朝命により 

    命を捨てる覚悟なのに

          何故 止めるのか ?

  速やかに 腹を切らせて欲しい 」

 

と 願ったが

 

「 立会人が 

      退席してしまったので

               戻ってこられるまで

                   しばし 御待ち頂きたい 」

 

これも 酷な話だと思いますわ ・・・

 

もちろん フランス側が 

 

戻ってくる訳も無く

 

「 切腹は 11人にて とりあえず 中止 」

 

となりました

 

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