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(現場での事実を記した碑)

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これは 「 アライメント屋の うろ覚え 」

により 書いてますので

「 アライメント屋の

                脚本にてのフィクション 」 

くらいに思ってください

          もし御興味が出れば 

            きちんとした文献にて

               事実を御確認下さいね

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慶応4年 2月15日

 

そう 前述の 「 神戸事件 」 の

  約 1か月後、備前藩の藩士が

                   切腹してから まだ

                  1週間も経ちません 」 

 

さらに 当時 

 

「 堺を警護していた 土佐藩 の

  重臣たちが 天皇から 預かって 

       運んでいた 「 錦の御旗 」 が 

                        フランスの兵隊に

                            取り上げられて 

                           大恥をかかされた

                           ほんの1か月ほど後 」

 

ですね

 

大阪で 公務を済ませた

 

フランスの副領事と 艦隊司令が

 

神戸は 遠いので 近くの堺港に

 

向けて 歩いていました

 

堺港には フランスの軍艦

 

 「 デュプレクス号 」 が

 

2人を迎えるべく 神戸から

 

堺港に 向かいました

 

これが もう少し 

 

二人の位が低ければ

 

そのまま 神戸に向けて 

 

徒歩にて 帰還して 

 

何事もなかったと思いますが

 

その時の2人は

 

「 大物過ぎました 」

 

この 2人のために 

 

「 わざわざ神戸から

            軍艦にて お迎えに行く 」

 

必要があるほどの 大物だったのが

 

悲劇の始まりでした

 

二人が 大和川に差し掛かった時

 

警護の土佐藩が

 

「 異人を通すことはできない 」

 

と ごね始めました

 

2人は

 

 「 ちゃんと許可はとっている 」

 

と 反論しましたが

 

警護の土佐藩は

 

「 聞いていない 」 と

 

突っぱねます

 

この時 相手が

 

「 ちょっと前に 神戸で 揉めて

        大恥かかされた フランス 」

 

だったのも おそらく 

 

関連していたんじゃないかと

 

思いますね ・・

 

頑強に 折れない 土佐藩 警護に

 

あきらめて しょうがないので

 

2人は 引き返します

 

今回の 一番の原因は

 

「 これ 」 ですね ・・・

 

一方、そんなこととは知らない

 

迎えの 

 

「 フランスの軍艦 デュプレクス号 」

 

は 堺港にそのまま着けられるほど

 

喫水が浅くないので

 

湾外に停泊して

 

小舟を出し 2人を待ちます

 

けれども 

 

待てど暮らせど 2人は 来ません ・・

 

時間を もてあまし

 

上官に許可を取り

 

堺港周辺を観光し始めます

 

売店に 入り

 

 売り子の女の子と たわむれたり

 

珍しい 堺の港の景色

 

を楽しんだり ・・・

 

それでも 時間が余るので

 

やることが無く ・・・・

 

湾内の喫水を測り始めました

 

この 「 湾内の測量 」 というのは

 

「 軍事的なスパイ行為 」

 

なんですね

 

何故かというと

 

大型の軍艦は 喫水が深く

 

うかつに陸に近づくと

 

「 座礁してしまう 」 ので

 

どこを通って 

 

どこまで行けば安全か?

 

を 把握しておくのは

 

非常に大事です

 

今でも 大型の船が 

 

知らない港に入るときは

 

港を熟知した 「 水先案内人 」 

 

という人が船に乗り込み

 

地形を 指示しながら

 

入港していると思います

 

ちなみに 「 パイロット 」

 

という言葉は

 

もともとは

 

 この 「 水先案内人 」

 

を 指す言葉 ですね

 

で 、この時 物陰から

 

異人を監視していた 

 

警護の土佐藩士達は

 

町人から 

 

「 異人が上陸して 

     傍若無人なふるまいをしている 」

 

( 多分普通に

  観光してただけでしょうが

               当時 初めて見る 

      異人が怖かったんでしょう )

 

と 聞いていたこともあり

 

もう許せん !! とばかりに

 

近くを歩いていた 

 

2人のフランス兵を

 

取り囲みます ・・・

 

驚いた フランス兵は 何とか

 

説明しようと 努力しますが

 

言葉が通じず ・・・

 

また 双方 

 

「 先日 揉めた直後 」 

 

ということもあり

 

険悪な状況となります

 

ここで 一人が 

 

とんでもない行動に出ます

 

連行されそうになり

 

「 走って逃げる 」 という

 

選択を してしまうのです

 

また 文献によると

 

「 土佐藩隊旗を 

             盗んで走り出した 」

 

とする 文献も在りますね

 

これは 自分としては

 

「 信じがたい 」 ですわ

 

本人に そんなことする

 

「 余裕も メリットも 無い 」

 

筈ですから ・・・

 

また 違う文献では 

 

単に 「 旗 」 と 記述が在ります

 

なので 本当は

 

「 何も持たなかった 」 

 

もしくは たまたま 置いていた

 

「 小さな 売店ののぼり 」

 

くらいを

 

「 土産のつもりで ひっつかんだ 」

 

ってとこが 関の山でしょうね

 

本物の隊旗なら

 

まず 「 簡単に奪えない 」 ですし

 

「 大きく重くて 走れない 」

 

でしょうからね ・・・

 

で この 「 走った フランス兵 」 は

 

おそらく 相当 足が速くて

 

「 自信があった 」 ようで

 

土佐藩士も 慌てて追いますが

 

追いつきません

 

そこに 「 鳶の職人 」 がいたのが

 

運のつき ・・・

 

この 「 鳶の職人 」 が

 

超速で 追いついて

 

後ろから 頭を 鳶口にて 叩きます

 

 

こんなもんで 頭をやられた日には

 

たまりません

 

もんどりうって 倒れます

 

停泊していた小舟とは もう

 

「 至近距離 !!! 」 

 

慌てて 応戦しようと 

 

船の水兵は 銃を抜きます

 

それを見て

 

土佐藩士の指揮官

 

「 箕浦猪之吉 」 は

 

「 後で責任問題になれば

                    俺が腹を切る ! 」

 

と 覚悟を決めて

 

発砲を命じます

 

「  撃て 」

 

号令一下 部隊は

 

反射的に 一斉に発砲します

 

当たり前です

 

もし 

 

「 指揮官の命令が在るにも 

      かかわらず撃たなかったり 」

 

また

 

「  自分の勝手な判断で

                      発砲したり 」

 

すれば

 

それは もう 

 

「 軍隊では在りません 」

 

軍隊とは 

 

「 命令一下 指示通り一斉に動く 」

 

ように 訓練されてます

 

なので 部下の兵には

 

「 判断 」 と いうものは

 

在りません

 

「 命令されたとおりに 

                         動いただけ 」

 

です

 

結果 ・・・・

 

不意を突かれたフランス側に 

 

「 11名の死者 と 多数の負傷者 」 

 

を 出しました

 

土佐藩側には

 

ほぼ 被害は在りません

 

その後 

 

 「 デュプレクス号 」 から

 

小舟で 死体の回収に 再度

 

引き返してきますが

 

その時は フランス側も

 

万全の準備をして 来ていますし

 

土佐藩側も

 

「 死体の回収に来ている 」

 

と 判っているので

 

遠くに離れて 手出しはせず

 

ほとんどの死体を回収し終えた

( この時点では数名が行方不明 )

 

 「 デュプレクス号 」 は

 

神戸に帰ります

 

こうして 

 

「 生まれたばかりの明治政府 」

 

を 根本から揺るがすような

 

大事件の一日が 暮れてゆきます ・・・・

 

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