藤鯛です。

 

お久しぶりです。

ここ最近本当に色々と忙しくて、なかなかブログを書く暇がありませんでした。

 

この度ようやく少し時間が空いたので、前々から思ってたことをこの9件目の記事で書きます。

 

今回も私の勝手な感想や経験からの話が多めなので、ちゃんとした分析が見たい方はnoteとかで探してみてください。

 

それでは行きましょう。

 

  ​「理解のある彼くん」って?

 

「理解のある彼くん」とは、精神疾患や発達障害などを抱えて生きづらさを感じている女性のもとにどこからともなく現れ、彼女たちの抱えている問題に理解を示し、支えてあげる男性のことです。

よく、「うつ病(発達障害)の私が生きづらさを克服した話」とかによく出てきますね。

 

精神疾患や発達障害などで生きづらさを抱えている女性を支えてあげる…と、これだけ見れば良い人なのかもしれませんが、この「理解のある彼くん」には結構問題があるんじゃないかな、と思いました。

以下、私が個人的にこれって問題なんじゃないか、と思ったものを3つほど挙げます。

 

  ​理解のある彼くんの問題点

 

私が考える理解のある彼くんの問題点、その1つ目は

 

邪な目的がある可能性がある

 

です。

 

先述したように生きづらさを抱える女性の支えになる、とだけ見てみれば聞こえは良いですが、実態として、彼くんが100%の善意でそのような行為に及んでいるとは考えにくいです。

精神疾患や発達障害を抱えた人とは、普通の人は本音としてあまり関わりたいとは思えないでしょうし、それでも近づいてくる人間は、その人が女性で、自分でもワンチャンやれそうだから…という考えを持っていることが少なくないと思います。

実際、精神疾患が原因で判断力に支障をきたしていることがあったり、また、発達障害(特にASD)の女性だと性被害にも遭いやすいそうで、私のこの予想はあながち間違ってもいないと思います。

 

要するに、単に性的なことが目的で、精神疾患や発達障害に理解がある訳ではなく、「めんどくさいけどやれるからいいや」と思われている可能性がある、ということです。

 

 

さて、2つ目は…

 

根本的な解決になっていない

 

です。

 

理解のある彼くんに支えられる形で、生きづらさを感じなくなった(あるいは軽減された)、と言っても、それはあくまで彼くんの支えがあってこそ、というものです。

 

先に言ったように、彼くんが100%の善意で支えてくれているとは考えにくく、また彼くんにも我慢の限界というものがありますから、ふとした事でいきなり裏切られたりして、目の前からいなくなってしまうことも容易に考えられます。

するとどうでしょう。自分の支えになっていた彼くんがいなくなったことで、また生きづらさを抱える生活に戻ってしまいます。

自分の精神と生活の安定を彼くんに依存していたので、その彼くんがいなくなってしまったことで大ピンチです。

 

また彼くんを見つければいい、という訳でもありません。また同じことを繰り返す可能性が高いですし、当人がそれに気づいて人間不信を強めてしまう可能性もあります。

 

 

さて、最後の3つ目は、

 

同じ境遇の男性には彼くんにあたる存在が現れにくい

 

です。

 

先の2つとは少々方向性が異なりますが、これも理解のある彼くんの問題点の1つと言えると思います。

 

現代日本は自由恋愛の社会です。

あまりこのようなことは言うべきでは無いかもしれませんが、そのような中では、たとえ精神疾患や発達障害というハンデを背負っていても、若い女性というのはパートナーを探すという点においては圧倒的に有利です。

ところが、同じハンデを抱えた男性は、基本的に女性からは見向きもされず、孤独な生活を強いられます。

そうした境遇を持つ男性からしてみれば、「自分と同じように発達障害や精神疾患があるのに、こいつらは女というだけで理解のあるパートナーができて、支えられてるなんて!」と、いった感想をもつことは想像に難くないでしょう。

 

もっとも、そんな男性たちの怨嗟から生まれたのが、この「理解のある彼くん」という言葉な訳ですが…

 

そういうわけで、SNSなどでは、このような「パートナーに支えられる形で困窮から立ち直る」という物語にはそのような男性たちから「結局依存してんのかよ」や「女はイージーモードなんだな」などといった否定的なコメントが多く寄せられることになります。

 

ちなみにですが、生きづらさを抱えていてもパートナーのいない女性もいますし、この手の物語はそうした女性からも批判されています。その上、先に書いたコメントのひとつ「女はイージーモード」というのは、パートナーが居ない女性も十把一絡げにイージーモードというように言ってしまっており、女性の抱える辛さを矮小化してしまう結果になっています。

 

  ​彼らはどこから現れるのか

 

ところで、理解のある彼くんというのは、物語においてはいつも、描き手が彼くんとどのようにして出会ったのかを詳細に描かずに物語を終わらせてしまうため、読み手からすれば、まるでどこからともなく突然現れた、あるいは「生えてきた」かのような印象を受けます。突然現れた存在によっていきなり困難が解決するというのは、まるでデウス・エクス・マキナのようです。

 

そんな機械仕掛けの神のような彼くんは、実際にはどこでどのように現れたのでしょうか。

 

おそらくですが、彼くんは、どこからともなく現れるのではなく、女性たちが自ら彼くんを積極的に探しに行っている、というのが考えられます。

発達障害の人を例として考えてみます。

 

(以下、「発達障害の人」と大きな主語で括っていますが、当てはまらない人もいるということをあらかじめ示しておきます。)

 

発達障害の人は、人との適切な距離感をつかむのが苦手で、離すのも近づけるのも非常に極端です。

少しでも同じ趣味があるとか、価値観が合う部分があるだとか、もっと突き詰めると自分に優しくしてくれた、というだけで、鬼のように距離を詰めてアプローチしてきます。

このような距離の詰め方は男女ともに見られますが、問題はその距離の詰め方の受け入れられやすさに明確な性差があることです。

男性の場合は「キモイ」や「チー牛」と切り捨てられて終わりですが、女性の場合、特に普段女性から相手にされない男性が相手の場合はどうでしょう。

若い女性であれば、受け入れられる確率はぐっと上がります。

受け入れられたために異常なコミュニケーションであることに気づけず、一般人からはおかしく思えても、当人からすればいたって普通のコミュニケーションなので意識もしていません。なので、「普通にしていたらパートナーができた」という認識でいます。そのため漫画に描くほどのネタにはならず、一般人には彼くんなるパートナーが突然現れたように見えるのだと思います。

 

 

  イージーモードとは思えない

 

ここまでで示した通り、理解のある彼くんが現れたからといってその後の人生が好転するとは考えにくく、その彼くんが何かの拍子に突然裏切ったり、彼くんから性被害やDVに遭う可能性も十分に考えられます。

そのため漫画が描けるほどにまで回復していたとしても、彼くんからの加害に遭えばまた辛い生活になってしまう可能性があります。

もちろん、中には一切の加害をせず、ただ100%の良心で支えてくれる男性もいるかもしれませんが、そのようなことができる方はおそらくかなり少数で、より魅力的な女性とすでに結ばれていることが多いですから、現実として、理解のあるパートナーができるからといって、ハンデを抱えた女性がイージーモードであるとは言い難く、むしろ、男性とはまた違った、女性なりの苦労や困難があるのではないかと思います。

情報が偏りがちなSNSではよく理解のある彼くんの存在を根拠に「女性はイージーモードだ!」と発言する方は多いですが、そのような方には私が上に示したような現実が見えていないのではないか、と思います。