このシリーズについての説明は、

(1)を参照されたし。

 

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令和1ヶ月無事に終わり。2ヶ月目か、新たな時代を歩いていること感じる。
百人一首の序歌は「我が敷島(日本)は咲く花の匂うが如く盛んな文化国家とならねばならぬ」という想いも込めて選抜されたらしいけども、私も、大仰だが「咲く花の匂うが如く盛んな文化」的素養のある人間になりたい。
多分だけど、痩せ姫が尊ばれる人が恐らくは増加している(大きな主観入り)のも、これはこれで平成から引き継がれた文化の芽のひとつなのではないか。

 

頭が悪いから、なんでみんなあんなに食べても体重を維持してるのか分からなくなる。

高校生なんて青春の真っ只中なのにもったいないことをしている、という趣旨のことを言われた。高校生で得た友達は一生ものなのに、とも。でも、それはあなたの物差しに過ぎない。
吐くことは一生正当化できない。だけど、体重計に乗って減りゆく数値を見ると心は踊るし、細いねって言われたら心底嬉しくなるし、今の所毎日結構輝いているので。
友達も、私の物差しを理解しようとしてくれない人ならいらない。

 

ちょっと断食したくらいで「拒食かも」、少しお菓子を数袋食べただけで「過食症かな」。本人は苦しいのかもしれないが、特に病名にはオフィシャルな定義があるにも関わらず、それを無視して軽々しく使うのはどうかと思う。
私が通う学校では、中学の終わりくらいからそんな会話がまま見られたけれど、私が保健室に初めて呼び出されたあたりから私の周りではぱたりとなくなった。その過剰なまでの気遣いが、ありがたくも怖くも重たくもある。

呼び出しが重なると自棄になりそうだ。もうひとつくらい増えたって構いやしない。どうせ見ているはずがないし。


私が私でいられないのはすごく怖い。
私の中では、なるたけ自分の思う自分の理想に近づくことがしたいと一念発起して、なんとなく持っていたあやふやなイメージに近づきたいとやってきている。今のところ、そのイメージを言葉にようやくあらわしたのが「文学に精通する痩せ姫」だった
マインドマップみたいに、そこから、泡沫とかおとぎ話とか、いろんな要素をくっつけられるけど、おおもとはそれ。

どうもそんな風に思うのは少数派みたいだから、保健室を筆頭に介入する人が一定数いるが、私はそれに過敏に反応してしまう。言うことに従ったら、ある意味私が私でなくなると思っているから。
 

そういえば、巷でよくある拒食になりたい、とかそんなテンションで使われると、それにアイデンティティを見出した人間としては気分が良くない。もちろん、それを咎める権利がないことも十分知ってはいるが。

それから、私が「痩せ姫」の言葉に我が意を得たりと大喜びして騒いでいるのは、生きづらさの果てにって副題の存在も大きい。
生きづらさって言葉はふんわりしている。よく摂食障害の理由は家族やら社会やらだとか言われるが、そんなもののせいで私が痩せ姫になりたいと思ったとか、そんな風に思われたくない。私が私の意思で選んだものだと言いたい。生きづらさの果てに自分でたどり着いた道なのだとするニュアンスが好きだ。

この年で生きづらいとか言っても、まだ狭い世界の中でしか生きていないとか、病んでるねとか、まだ何十年も生きるんだからとか笑われて終わりで、だれも真剣に聞いてくれない。嘘だと思われる。痩せるとすこしその真剣味が増す。嘘じゃなかったんだとなる。
心配してほしいし、私の気持ちをないがしろにしないでほしい。だけどそれで問題行動を起こすのは違うと思う。保健室の先生から見れば私は問題児なのかもしれないが、少なくとも5教科の先生から見ると課題に真面目に取り組みテストでは成績を出す模範的な人間なはずだ(願望込みの自己評価)。

私が生きづらいのは私の性格がほぼ全て影響してるだろうし、だって学校も家庭環境もお金に困ったこともなく虐待もされず恵まれている方だと自覚しているから。だからあまり人に迷惑をかけずにいたい。ただ、自分の生きづらさを持て余してきた。辛いと言っても理解されないだろうけど辛いものは辛い。

人に迷惑をかけてはいけない。それだけは徹底的に教え込まれてきた。思想は自由、主張もある程度までは自由、ただし人に押し付けてはだめ。

 

痩せるのは、自分が目指す目標地点を確認して自分のアイデンティティを作り維持する作業であり、最大限人に迷惑をかけずに自分の生きづらさを外部に提示できる、最高の手段じゃないかと思う。
こんな風に思ったのは、保健体育の先生にはあまりよく思われていない(私運動嫌いだし)のに、そのひとりから「最近大丈夫?無理しないでね」って、この11年間はじめて優しい言葉をかけてもらえたから。
先週の金曜日、階段ですれ違った時。どれだけ嬉しかったか。こうでもしないと分からないよね、知ってた。
見てくれている人はどこかにいる。大丈夫?って言ってほしかった。頑張っていたら報われるんだと思った。もっともっと頑張りたい。
正直、二次反抗期はなかった。親ともつかず離れずの距離でうまくやってきたはずだ。でもそれは、反抗期なんて汚い言葉で親を罵ったり手を上げたりしたくなかったから、自分の品位を落とすような真似をしたくなかったからに過ぎない。小さく反抗するという意味でもなかなかの手段。

疲れた、くたくた。金曜から言語化するまでこんなに時間がかかった。頭が良くなりたい。寝ないけど寝る。