5年前の今日、の記事。

(コピペ再録)



ある痩せ姫の言葉。

「拒食の時は細い自分が好きだったし
みんなに細すぎって言われるのが喜びだったし
体が軽かったし
今のが健康って言われるけど今の自分の体型嫌い」

この人の言葉は、これしか保存されていなかったし、
アカウントも消えていて、どういう人なのか、
詳しいこともわからない。
ただ、この感覚はわりと多くの人が抱くものなのでは、
とも思った。


2年前に激やせが騒がれ、
いわゆる「健康」な状態に戻ってからも
ダイエット関係の話をよく口にするあの若手人気女優も、
こういう感覚を抱いていたりして。
なんてことも、ちょっと妄想した。

もちろん、あながち妄想とは限らない。

 


 

12年前の今日、の記事。

(コピペ再録)

 



昨日、妻との会話のなかで、
「戦争にもルールを作ろうとする人間の面白さ」
というものが挙がった。

昔の一騎打ちとか、宣戦布告とか、市民を巻き込まないとか
人間はつくづく、本音と建前のなかで生きてるのだな。

そういえば、以前、ある人が、
人間はなぜ悪口を言うのだろう、と書きながら、
そんな自分もまた、悪口を言う人の悪口を言ってるのだと、
自己嫌悪していたけど。
それもまた、人間なのだと思う。

つまり、彼女は、

そういう「人間」であることに堪えられなかった、

というか。
自殺もしくはそれに近い死に方をする人には、
そんなタイプも多い気がする。

 

4年前の記事。

(コピペ再録)

この動画は今も見られるようだ。

 



前記事(22年8月15日)で紹介した

「ラブティーン」の動画。
トップティーンズと呼ばれる中高生女子
(「ポップティーン」モデルの卵たち)
に対して、抜き打ちの体重計測が行われる。
身長を言ってから、体重計に乗るかたちだ。
なお、衣服の分は500グラムと計算するルール。
ここでは、500グラムを引いた数字を記載する。

体重が一番少なくて、BMIも最小だったのが、
みさみさ(中2)。
152.3センチで35.9キロだった。
じつは測定タイムに入る前に、それぞれが、
自分の体重を予想する時間があり、たとえば、
「学校の身体測定では●キロだったので」
なんて発言が聞けるのだけど、
この子だけは、ちょっと違った。
「毎日計ってるので、昨日の夜より軽かったらいいな」
と語ったうえで「36くらい」と予想。
まぁ、細いことは他の子たちも当然わかってるので、
体重計に乗る前から注目され、
「脚が爪楊枝みたい」なんて声も出ていた。

そして、体重がわかった瞬間、他の子たちから、
「えーっ⁉」という驚きの声が。
一方、本人は「40以内でよかったです」と、
謙虚な(?)感想を口にしていた。

「ポップティーン」といえば、かつて、
くみっきーこと舟山久美子が、ダイエットして、
155センチ37キロになり、話題になったことが。
BMIは同じくらいだけど、この子はまだ中2なので、
当時高3くらいだったくみっきーより、
細くいられるという意味では有利ともいえる。
体重測定を欠かさない、今の意識の高さを持ち続けて、
スレンダーな女の子として成長していってほしいな。

なお、他の子たちもそれぞれ、体型について、
切実だったり、可憐だったり、本音を語ってて、
この年代の女の子の魅力が随所にあふれる、
なかなか素敵な動画だった。
 

 

 

二年前の今日、の記事。

(コピペ再録)

今年からだと、七年前を想ってることになるので、

タイトルは少し変えてみた。

 

 

●8月15日、五年前の夏を想う

五年前の今日、こんなツイートが。

・・・・・・

会社の痩せ姫でさえ「冷房ないと死ぬ」って言ってるから今年の夏は相当だと思う

台風に吹き飛ばされるくらいになりたい
飛んでいきたい

・・・・・・
 
ツイート主はそれぞれ別の人だ。
五年前の今頃も、猛暑だったり、
台風が来たりしてたんだな。

 なお、この時期にはアエラドットで書いた記事が、
界隈をざわつかせたりもしていた。

『管を喉から胃まで突っ込む“チューブ吐き” 摂食障害「痩せ姫」たちの危険な夏』

このサイトは編集者がタイトルを決定するのだけど、
その後の個人的スタンスとしてはなるべく、
「チューブ吐き」をタイトルには入れないようにしてる。

 あと、夏の風物詩というべきジブリ映画のテレビ放送。
「千と千尋の神隠し」が放送されたようで、
カオナシに感情移入する人や、
ヒロインへのこんな憧れを語る人がいた。

「千尋の体型が好き!筋肉がついてなくてひょろっとしてるし、力がないから扉閉めるのも両手で…」

 五年もたてば、この世からいなくなる痩せ姫もいて、
感傷的にもなるけど、季節は概ね変わることなく、
人と街のあいだをめぐっていく。

 

 

 

「世界名作劇場」のアニメ「小公女セーラ」(85年)

についての第二弾。

ヒロインのセーラ(10歳)は、父の破産と病死により、

VIP扱いの代表生徒から屋根裏部屋の使用人へと、

一気に転げ落ちてしまう。

 

そして、第18話「悲しいメイポール祭」では、

屈辱的な経験を味わうことに。

街で金持ちの家の幼い男の子から、

銀貨を渡されてしまうのだ。

セーラを「かわいそうな人」呼ばわりした男の子は、

自分の母親に、銀貨を渡した理由をこう説明する。

 

「だって、ママ、あの子、ママがお話ししてくれた

マッチ売りの女の子にそっくりだったんだよ。

服も靴もボロボロだし、顔だって青くて、

もう何日も何も食べてないみたいに痩せてるんだ」

一方、セーラは心の中でつぶやく。


「私はとうとう、他人から

お金を恵んでいただくようになってしまったんだわ。

そうよ、

今の私はそれほどみすぼらしい女の子に見えているのよ」

 

運命が変わる前のセーラは、その細い体型が、

お嬢さまらしい気品の象徴だった。

が、使用人に転落してからは、

みすぼらしさの記号となる。

食事の時間もないほど働きづめでやつれてしまった、

ということでもあるのだろうが、興味深い描き分けだ。

 

 

お久しぶりのコメント、うれしいです。

なじぇなじぇ摂食障害、については、

前に取り上げた際にも、コメントをいただきまして、

似た気持ちを共有できてることが幸せです。

たしかに、時間は止まってくれませんが、

あの頃、さくらさんが経験された素敵な交流は、

永遠の記憶として残っていくと思いますよ。

 

 

13年前の今日、の記事。

(コピペ再録)

 

 

 

ネタバレ注意。
と言ってみたところで、

こんな記事タイトルをつけてしまっては、
意味がないかもしれないけど。

昨日、立原正秋の「薔薇屋敷」と「流鏑馬」を再読した。
ともに、心が死んでいるような日々を送る男や女が、
生の実感を求めてさまようような物語だが、
「薔薇屋敷」にこんな文章が出てくる。

・・・男の目の前で服をとるメアリの動作には、いつも、不思議と淫らな感じがしなかった。自分の躯しか信じていない女だった。健康な娼婦、というのがあるとしたら、それはメアリだった。(略)羞恥心がないというのではなかった。娼婦として純真そのものの女であった。・・・

健康な娼婦、というひねった表現には、彼が終生、

畏敬していた川端康成からのよき影響が見てとれる。
その伝でいえば「流鏑馬」のヒロインが最期にとる行為は、
「健康な自殺」だろう。
彼はヒロインへの愛をこめて「こうするよりほか自分を生かせなかった」と書くが、
よりよく生きるための自殺というものが、

人間には存在する。

一方「薔薇屋敷」には、主人公の阿片中毒を、
痩せ姫における摂食障害に置き換えて読めるようなところがあり、非常に興味深かった。
ただ、壊れていく過程がリアルな分、

世間的な健康観と合致した結末に、
いささかキレイごとめいた印象を抱かなくもない。

一度死んだ心が、世間的によしとされる形で生き返ることが、今の僕にはあまり信じられないというか。
もちろん、立原とて、

それを無条件に信じてたわけではないだろうから、
ここには彼の、

世間的なものと折り合いをつけて生きていけたらという、
願望が託されていた、と考えたい。