13年前の今日、の記事。
(コピペ再録)
ネタバレ注意。
と言ってみたところで、
こんな記事タイトルをつけてしまっては、
意味がないかもしれないけど。
昨日、立原正秋の「薔薇屋敷」と「流鏑馬」を再読した。
ともに、心が死んでいるような日々を送る男や女が、
生の実感を求めてさまようような物語だが、
「薔薇屋敷」にこんな文章が出てくる。
・・・男の目の前で服をとるメアリの動作には、いつも、不思議と淫らな感じがしなかった。自分の躯しか信じていない女だった。健康な娼婦、というのがあるとしたら、それはメアリだった。(略)羞恥心がないというのではなかった。娼婦として純真そのものの女であった。・・・
健康な娼婦、というひねった表現には、彼が終生、
畏敬していた川端康成からのよき影響が見てとれる。
その伝でいえば「流鏑馬」のヒロインが最期にとる行為は、
「健康な自殺」だろう。
彼はヒロインへの愛をこめて「こうするよりほか自分を生かせなかった」と書くが、
よりよく生きるための自殺というものが、
人間には存在する。
一方「薔薇屋敷」には、主人公の阿片中毒を、
痩せ姫における摂食障害に置き換えて読めるようなところがあり、非常に興味深かった。
ただ、壊れていく過程がリアルな分、
世間的な健康観と合致した結末に、
いささかキレイごとめいた印象を抱かなくもない。
一度死んだ心が、世間的によしとされる形で生き返ることが、今の僕にはあまり信じられないというか。
もちろん、立原とて、
それを無条件に信じてたわけではないだろうから、
ここには彼の、
世間的なものと折り合いをつけて生きていけたらという、
願望が託されていた、と考えたい。