最も美しいものは、人がそれを見て、
喜びのほかに悲哀や不安を覚えずにいられないものだろう。

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ブログタイトルの下に添えてあるこの言葉は、
ヘルマン・ヘッセの小説「クヌルプ」に出てくるもの。

森瑤子がオードリー・ヘプバーンについて書いた文章に、
引用していたのを、そのまま借りた。

ただ、ヘッセ翻訳者の代表的存在である高橋健二は、
こう訳している。

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いちばん美しいものはいつも、満足とともに悲しみを、
あるいは不安を伴うとき、美しいのだ、と考える。

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おそらく、こちらのほうが原文に忠実なのだろうけど。

ちなみに、ヘッセは「いちばん美しいもの」の例として、
「お嬢さん」と「花火」を挙げていて、それぞれ、こう解説する。

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そんなひとにも盛りのときがあり、それが過ぎれば、
年をとって死ななければならない、
ということがわかっていなかったら(略)
こんなものはいつだって見られる、何もきょうでなくてもいい、
と考えるだろう。
これにひきかえ、衰えやすいもの、
いつまでも同じではいないものを見ると、喜びばかりでなく、
同情をもいだくのだ。

それをながめていると、喜びを、そして同時にまた、
すぐに消えてしまうのだという不安をいだく。
それが結びついているから、
花火がもっと長くつづく場合よりずっと美しいのだ。

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それにしても、このクヌルプという主人公、男性なのだが、
考え方や生き方がすごく痩せ姫っぽい。

ヘッセが自らの少年時代を投影させた「車輪の下」が、
思春期の挫折を描いた傑作であることを思えば、
彼が生み出す人物にそういう傾向があるのも当然だけど。

どのように痩せ姫っぽいかは、そのうち、記事にしたい。

あと、人生を花火にたとえた芥川龍之介の短篇「舞踏会」なども、
思い出したり。

というわけで、このブログ、
今年もこんな感じでやっていくとしよう。

よろしくおつきあいください。