一昨日とりあげたエッセイ集のなかで、

福永武彦は川端康成について、

もう一篇「末世の人」という文章を書いている。

 

川端が自殺した直後に書かれたものだが、

例によって、引用が的確。

 

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知友の作家が死んだ時、その人の作品を読んでいるのが、

かなしみとさびしさとをなぐさめ、

またまぎらわすことだと、

私は長年のあいだにおぼえさせられた。

(略)

作品の感銘が高まると、

さらにかなしみの深まることもあるが、

それは自分をその作家のなかへ流れこませての

思いだから救いもあり、

その作家とともに一つの心の世界へ移っていけるし、

そうして、

時にはその作家の死を忘れたかのようにさえなる。

 

ただ自ら弁護出来るのは、私は風の来るにつれ、

水の流すに従いながら、

自分も風であり、水であった。

私は常にむしろ自分を失いたいと思いつつ、

失いきれぬものがあった。

 

私はもう日本のかなしみしか歌わないと、

敗戦ののち間もなくに、私は書いたことがある。

日本語で「かなしみ」とは、美というのに通う言葉だが、

その時は、かなしみと書く方がつつましく、

またふさわしいと思ったのであった。

 

私は日なたに横たわり、そして眠るのが好きであった。

(略)

日光にあたたまってうつらうつらが、

小さいころから私のしあわせな時間であるらしい。

 

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福永もまた、

川端の作品を読むことで追悼しているわけだが、

そこで改めて、彼の虚無主義だったり、

かなしみという美への親和性に触れ、

その独特の世界観に迫っていく。

 

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川端さんにとって人生は

果してどれだけの価値あるものだったのか。

少くともそこにはニヒリストの幻影としての美があり、

その美がたまゆらにでも手に入りさえすれば、

人生はそれで足りたのだろう。

そして美もまた幻影である以上、

美は作品の中に定着されることを欲していた。

それの残りはなべて空々寂々であった。

 

美を見る時にのみ「微かに死にさからっていた」とすれば、

残りの生などというものは夢幻泡影にすぎないだろう。

 

美は即ち悲しみであり、

悲しみは即ちほろびであるとすれば、

自らをほろぼすことで人生という作品を完結させることも、

或いは必要だったのかもしれない。

 

(略)文士たる者はいつでもすれすれの線を生きて、

ただ誰しも

精神の力によって想いを散らしているだけであろう。

力の弱まった時に自らの眠りを求めるような行為に出ても、

それを咎めることは―

少くとも同業の文士にとっては―出来ない筈である。

 

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福永はその自殺について、

「川端さんが文士であったことの

自己証明のような気さえする」

と言い、

「死者をして静かに眠らせたい」

と願う。

 

そして、川端が「日なた」での「うつらうつら」を

「私のしあわせ」だと、

書いていたことを想い起こし、こう結んだ。

 

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川端さんの墓の上に暖かい日光がいつも溢れていることを

私は切に望む。

 

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追悼文あるいは悼辞というものは最高の文学形式だと、

僕は考えていて、

しかもこれは、

好きな作家が好きな作家について書いているわけだから、

こういう文章を読めることが「僕のしあわせ」だといえる。

 

さらにいえば、

僕はこの記事を好きな音楽を聴きながら書くことができ、

それについても感謝したい。

 

そのあたりについては、別稿で。