まぁ人に寄るんでしょうけどね(笑)
自分の場合、若い頃親父に言われたような気がします。
父も商売をしていたのでお金に関してはシビアだったんですね。
ただ、母から聞いた話では父が知り合いを信用して保証人になって大損をしたので絶対に他人の書類にハンコは押すなと言われ続けてきました(*^_^*)
そして父も自分主義だったので子供に財産は残さないと若い頃から言っておりました。
そのため自分が大阪に出る時は一匹狼で生きていくと決心したものです。
とにかく自分で稼いだお金は自分に投資。
とはいえ、20代前半はたいした収入も無いので母に仕送りしてもらったりしてましたが、説得材料は自分に投資。稼ぐようになったら倍返しするからと… ランクル買った時も長々と電話して説得した(笑)
30代になるとバブルの後押しもあってそこそこ収入はあったが、通帳に貯まって来るとすぐに使っていた。
全ては自分に投資だと自分に言い聞かせて。
その内容は趣味半分である。コンピュータ、カメラ、ビデオ機器、オーディオ…ま、今と同じような物である。
その投資が自分の価値を上げていき、単価の高い仕事が出来るようになっていったわけである。
なので大阪にいる時はたいした貯金は残っていなかった。
貯金を意識し始めたのは、老後を意識しだした50代からである。
大阪時代はバブルで動くお金は大きかったが、サラリーマンという立場を取っていたので可処分所得は今ほどではなかった。
Uターンして1年ほどで起業したが、鳥取ローカルと言えど、やり方次第では付加価値の高い仕事が出来るのだと驚いた。
やはり大阪で得たノウハウは鳥取でも役立ったわけで可処分所得は鳥取の方が多かった。
そのため、起業して10年くらいは利益のほとんどを設備投資に回していたが、その後は貯金に回すようにした。
近年の売り上げはピークの半分くらいになってはいるが、設備投資が落ち着いたので可処分所得はそれほど減っておらず着々と貯金額は増えている。
未だに仕事が絶えないのは、ライバルが少ないからである。
これは若い時に自分に投資として注ぎ込んで来たことが今、役に立っていると思うわけだ。
これこそ「お金は後からついてくる」!?ということなんだろうな(笑)