いつもなら

日曜日はブログ、お休みですが、

この記事は間を空けると良くないと思ったので今日アップします。

え〜とそれから今週はいろいろと用事があるので更新不定期となります。

ご了承下さいませ〜

 

 

前回の記事、

急遽アップした『安倍と物部〜唐松神社をめぐる冒険』
https://ameblo.jp/fuji-warau/entry-12856934383.html

この記事の中で『上到米の唐松神社』の社殿は鳥海山を向いていると書いた。

鳥海山と言えば秋田県と山形県にまたがる山。

山形県飽海郡遊佐町・酒田市〜そして秋田県由利本荘市・にかほ市に面してる。

しかも鳥海山は物部氏の祖神ニギハヤヒが降臨した山でもある。

前回の記事にも書いたが、

『上到米の唐松神社』の宮司の名は上法(じょうほう)という。

この上法、実は阿部から改姓した名だった。

上法は阿部なのである。

阿部が宮司をつとめる『上到米の唐松神社』と鳥海山の関係が氣になり、

調べたところ次のようなことが分かった。

 

 

 

 

鳥海山という名の由来。

安倍宗任(あべのむねとう)の所領がこの地にあり、

安倍宗任のまたの名を『鳥海弥三郎宗任』という。

実は安倍宗任が生まれたのは宮城県亘理郡鳥海の浦という場所だった。

おそらく生誕地に因んで『鳥海弥三郎宗任』と名乗ったのであろう。

今でも鳥海弥三郎宗任に関する旧跡として磐井郡鳥海や胆沢郡鳥海の柵などがある。

秋田県由利本荘市矢島町元町の相庭舘(あいばだて)付近には『鳥の海』という地名もあるし、秋田県南部を流れる子吉川(こよしがわ)はかつて『安倍川』と呼ばれていた。
どうやら秋田県由利郡あたりは安倍宗任の勢力下に置かれていたらしい。
また山形県酒田市と安倍宗任の関係は──
 

 

 

 

 

 

 


これには幾つかの説があった。
奥州藤原で有名な藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の母が、
安倍宗任の娘の徳尼公(とくにこう)だという説。
この徳尼公が奥州藤原滅亡の時に家来と共に酒田に逃れて来たという。
だから酒田にある泉流寺(せんりゅうじ)には徳尼公廟がある。
もう1つの説は、
藤原秀衡の妹が徳尼公とする説。
泉流寺ではこちらの説を取る。
奥州平泉の藤原氏没落の際、
藤原秀衡の妹で『徳の前』という女性が三十六人衆を従えて酒田に落ちのびた。
やがて『徳の前』は尼となり泉流庵を建てた。
これが泉流寺の始まりといわれる。


どちらの説が正しいのか?
それはわからない。
だが泉流寺が『徳尼公 = 藤原秀衡の妹』説を取るのなら、
それが正しいのかも知れない。
おそらく山形県酒田市一帯が安倍宗任の勢力下にあったから、
『徳尼公 = 安倍宗任の娘』説が浮上したのだろう。





兎に角〜🐇
安倍宗任の別名が『鳥海弥三郎宗任』だったこと。
安倍宗任の生誕地が宮城県亘理郡鳥海の浦だったこと。
そこから安倍宗任の領地にあった山を『鳥海山』と呼ぶようになった──
そんなところだろう。


安倍と物部。
2つの唐松神社。
秋田県大仙市の唐松神社の宮司は秋田物部。
秋田県雄勝郡羽後町上到米の唐松神社の宮司は上法。
上法のかつての名は阿部。
ちなみに『上到米の唐松神社』の社殿は鳥海山の方を向いてる。
鳥海山。
物部の祖神ニギハヤヒが降臨した山。
安倍宗任(鳥海弥三郎宗任)の名がつけられた山。
このように『安倍と物部』は入り乱れて『東北の物語』の中心に寄り添っている。