りまりまさんが『葵』の探究をしている。

葵と蔓(カズラ)、そして沖縄のヒスイカズラ──

妄想はふくらみ、葵・賀茂神社・徳川・松平と繋がってゆく面白さ。

それにしても気になるのは『葵紋』のこと。

家康は天皇から家紋を下賜されたのにそれを断り、葵紋を使い続けてる。

なぜ?ふつう天皇から家紋を賜ればそんな名誉なことはないのに。

なにゆえ家康は『葵紋』に拘るのだろう。

 

 

 

 

そもそも、徳川家の家紋は『葵紋』ではなかった。

家康が父(松平広忠)のために建てた霊廟を見ればわかる。

そこには『葵紋』は一切使われておらず、『銀杏紋』が使われているのだ。

正確には『三つ剣銀杏紋』というらしい。

先祖の得川親氏(とくがわちかうじ)が松平家に婿入りしたので、

その頃に『葵紋』に変えたのだろうか?

いやでも、もしそうなら松平広忠の霊廟も『葵紋』でいいはず。

なのにここでも『葵紋』は使わずに『三つ剣銀杏紋』を使っている。

ということは──家康その人が『葵紋』に拘っていた、ということになるだろう。

 

 

 

 

こんな説がある。

家康の祖先に加茂朝臣を名乗った者がいるため、

加茂朝臣とゆかりの深い京都の賀茂神社の『葵紋』にならったと。

賀茂神社の神紋は『フタバアオイ』だが家康のは『三つ葉葵』──??である。

賀茂神社の神紋は避けつつ──

それでも賀茂氏との繋がりは表明したかった?

 

 

家康は征夷大将軍になるため、

清和源氏新田流の末裔であると名乗ったけれど、これには信憑性がないという。

ちなみに新田氏の家紋は『一引両』である。

どう見ても『葵紋』に繋がる要素はない。

征夷大将軍になるための嘘?──嘘も方便てやつ?

 

 

天文11年(1542年)、

家康は三河国(現在の愛知県東部)に生まれた。

父は松平広忠。

生まれた場所は岡崎城。
家康を生んだ松平家というのは、

三河国加茂郡にあった『松平郷』から始まり、

徐々に三河西部に力を伸ばしていった一族だという。

 

 

 

 

加茂

松平郷は『加茂』郡にあったのだ。

松平郷〜加茂郡〜賀茂神社〜

で、賀茂神社のフタバアオイと葵紋がここで繋がるわけか。

そう言えば三河武士たちの多くは『葵紋』を使っていたという。

ふむふむ…🤨

そうなると俄然氣になって来るのは、松平の出自である。

どうやら、

松平家賀茂氏説

と言うのがあるらしい。

笠谷和比古 著『徳川家康の源氏改姓問題』(国際日本文化研究センター紀要1997年)

にはこんなことが書いてある。

 

 

松平家というのは、

三河賀茂郡松平郷を発祥の地とする在地領主にして、

古代の豪族賀茂氏の一族と言われている。

 

 

松平家3代目に信光という人がいた。

松平家の史料で活動を裏付けられる「実質的最初の松平家当主」になるという。
彼は三河国岩津(愛知県岡崎市)に妙心寺という寺を建立した。
そこに阿弥陀如来の像が納められ、その銘文にはなんと──

賀茂朝臣

と記されていたのだ!

こうなると、松平家賀茂氏説はまったくの荒唐無稽という訳ではない。

もし松平家が賀茂氏なら──

その血を受け継ぐ家康が天皇から下賜された家紋を断った、というのも頷ける。

 

 

お知らせ〜

5月11日土曜日・12日日曜日はブログお休みします。

ご了承下さいませ。