海抜820mの大ケヤキの札打場から、お昼休憩場所の富士山 天照教社へと歩を進めています…
ちなみに札打場から富士山 天照教社までは、約180mの高低差があります。

↑AM11:11…海抜855m

↑AM11:35…植物をルーペで観察しながら進みます♪
写真はイワセントウソウ♪(岩仙洞草)
セリ科の植物で、この季節は青木ヶ原樹海でも見ることができます。
※ちなみに写真のルーペの倍率は5倍の表示ですが、他のメーカーの物と比べると6倍に相当します。
ニコン製品の倍率表示方法は他のメーカーと異なり、2倍以上のルーペに関しては、1を足した数値が通常の倍率になります。
レンズはプラスチック製なので軽くて持ち運びに便利です。
↑AM11:37…海抜910m

AM11:41…海抜927m

↑AM11:55…私を含め、皆さん必死で撮影しています!
何を撮影しているのか? それは…
ヤマトグサは風媒花で花弁がありません。また同じ株に雄花と雌花をつけます。雄蕊はわずかな風が吹いてもなびくように揺れるので、撮影はとても難しいです。
たくさんの花糸で垂れ下がり、薄黄色の線形の葯が雄蕊です。雄蕊は萼片3つがクルクルと反り返っています。
雌花はとても小さく、対生する葉の付け根に付きます。

PM12:01…海抜960m、もう少しで林道 富士山麓線(天照教林道)に出ます。

↑PM12:21…林道 富士山麓線から富士山 天照教社参道へと歩を進めます。
昨年の5月8日 PM14:00頃に、この参道でツキノワグマの目撃情報がありました。
天照教社を利用される方はお気をつけください!

↑PM12:27…富士山 天照教社の縁側(土間)をお借りして昼食にします。
神道 富士山 天照教を創始した徳田寛豊は、清水の次郎長と関わりがあったことはこちらで書きましたが、徳田寛豊は明治維新の契機となった「桜田門外の変」にも鹿児島藩士と交わり関わったそうです。
そして維新後、国教神道を目指して富士山 天照教を創始しました。
教祖 徳田寛豊は日本を救い、日本を精神的に泰らけくに導くものは宗教であると信じ、神教・仏教・儒教・キリスト教を統一して、老弱男女の別なく誰もが知り、誰もが実行できる教えを広めるため、富士山 天照教の設立を試みました。
この決意の下に侍の禄(ろく)を全て返上して野に下り、その代償として富士宮の入会地60000坪を貰って聖地を築きました。
そして、その時に関わっていたのが清水の次郎長と西郷従道(西郷隆盛の弟)です。
現在、富士山 天照教社境内の庭に両氏の手植えの桜が、徳田寛豊手植えの桜と共に植えられています。
ちなみに当時の富士山 天照教には信者は10万人もいて、この辺りには旅館36戸、豆腐問屋、風呂屋などが建ち並んで栄えたそうです。




