この記事は 2022年に私が体験した事を「回想」として綴ったものです...
富士山最古の登拝道「村山道」は、春夏秋冬 様々な姿を見せてくれます。ふじ爺は これまで何度も歩いていますので、これまでのベストショットを織り込みながら綴っていきます。

7月30日...7月29日 PM17:34に 海抜0mの田子の浦 鈴川海岸をスタートして、約9時間30分が経過しました。
古代東海道→旧東海道→村山道と、富士山に向かって北上し、富士山最古の登拝道「村山口」の起点となる、神仏習合の村山浅間神社・富士山興法寺大日堂にやって来ました。

※神仏習合とは..日本列島固有の神 (神道という宗教化される以前の『カミ』と呼ぶべき観念も含めた) に対する信仰と、6世紀に大陸から伝来した仏教とが密接に結びつく事です。例えば、神社の本殿に仏像を祀る、仏教寺院の境内に神殿を構えるといった状況を表します。
↑AM3:00..ほぼ予定通り「富士根本宮 村山浅間神社・富士山興法寺大日堂 (神仏習合)」に到着しました。(海抜486m)
「回想2.」でも綴っていますが、村山浅間神社は 神仏習合が色濃く残っており、この文化と歴史はとても貴重です。(回想2はこちら )


空が白み始めるまで、食事休憩と村山古道を歩く準備をします。早朝に村山古道を歩く時は 夜露などで足元が濡れてしまう事があるので、登山用スパッツ (ゲイター) を装着します。
村山浅間神社案内所の筋向かいに「山本商店」に自動販売機があるので、ミネラルウォーターを追加購入しました。2.2リットル (550ml × 4本) をザックに詰め込んだので、水の分 2kgが増えて ザックの重さは17kgになりました。
↑AM4:24..日の出は4:53ですが、空が白み始めたので、富士山興法寺大日堂に参拝させて頂きます。
↑富士山興法寺大日堂の御賽銭箱には富士山の彫りが施されています。木目がいい味を醸し出しています。
↑富士山興法寺大日堂の扁額。
↑【参考写真 2021年9月5日撮影】
富士山興法寺大日堂の前の石灯籠の正面には「興法寺 池西坊 浄蓮院」と彫られています。浄蓮院は神仏分離後も本山修験派として、昭和の初期まで活動していました。
奉納年は「万延元年」と彫られていますので、1860年庚申 富士山御縁年です。とても貴重な石灯籠ですね♪
↑AM4:30..水垢離場を見守る不動明王坐像。
↑AM4:33..護摩壇には7月10日に執り行われた「採燈大護摩供」の跡が残っています。
富士山興法寺の護摩壇は 5.3m四方の石垣の中に、直径1.4mの丸い石組となっています。
↑護摩壇を見守る不動明王像。
↑護摩壇の東側に宝篋印塔(ほうきょういんとう)
石工名は「信州石屋 八左衛門・伴右衛門」
造立年は「宝暦2年3月」と彫られていますから、1752年の九代将軍 徳川家重の時代の物です。
↑護摩壇後ろの小高い丘の登り口に「神變大菩薩  富士峰八大金剛童子」の石碑。
富士峯入り行者を守護する神格です。
護摩壇後ろの小高い丘に「大日如来」の石像。
↑AM4:39..村山浅間神社 御神木の大イチョウ (銀杏)
樹齢300年以上♪樹高16m 幹周9.2m
「乳」と呼ばれる大きな気根 (乳状下垂) の発達が素晴らしい銀杏です。
イチョウは雄雌異株で、他の木に比べて葉や幹の水分が多いので、木全体が燃えにくく火に強いという性質があります。
江戸時代には防火用の空地である「火除け地」(ひよけち) にイチョウが多く植えられ、これにより火事が起きた際に火が燃え広がるのを防ぐ事が出来たそうです。
↑【参考写真 2019年11月30日撮影】
御神木の大イチョウ (銀杏)、黄葉の時期も素晴らしいです♪
↑氏神社 拝殿へと向かう参道風景です。
氏神社は 村山修験の開祖「末代上人」をお祀りしている神社で、拝殿へと向かう参道脇には、杉の巨木が立ち並んでいます

氏神社... 現地 説明板より
『村山修験の開祖 「富士上人末代」は「役ノ行者」修法を継ぎ幾百回の登頂を成し、頂上に大日寺を建て、山岳仏教の基礎を固め、自ら 「大棟梁権現」と号し、村山の地にて即身仏となって当山の守護神となった。当社はその霊を祭り、氏神社として氏子の信仰厚く、高嶺聡鎮守と称する』
とあります。
↑AM4:43..富士開山をした末代上人 (まつだいしょうにん) を祀った「高嶺総鎮守社」に参拝します。
末代上人を祀った「大棟梁富士大権現」は 護摩壇の上の方にあったそうですが、明治元年こちらに遷し、現在は高嶺総鎮守社として祀ってあります。
高嶺総鎮守社の参拝を終え、これから村山浅間神社にお参りさせて頂きます。
↑AM4:48..境内の右手に富士山興法寺大日堂、左手に富士根本宮 村山浅間神社..まさに神仏習合ですね。
↑AM4:52..「富士山」の道標。
この道標は昔、西見付の下の「道者道 山辻」にあった物を こちらに移設したものだそうです。
↑AM4:53..丁度、日の出の時間になりました。
写真は 雄仁親王が富士山興法寺に納めた碑伝木 (ひでぎ) の復刻版です。当時の碑伝木は 富士山興法寺大日堂の中に保存されており、土日祝のみ拝観出来ます。
碑伝は 修験者が峯入りのあかしに姓名や峯入年月日を記して行場などに納める碑です。

聖護院宮は大峯修行の後、将軍加護加持のため江戸へ下向し、帰途に村山参詣を例としており、雄仁親王が 天保12年 (1841年) に富士山興法寺に参詣しました。
雄仁親王の碑伝木は、高さ7.7m、幅60㎝、厚さ22㎝。
「熊野三山検校三井長吏役優婆寒正嫡富士山巡禮一身大阿闍梨聖護院二品雄仁親王」「岩本坊権僧正 岩本法院祐文 雑務法印源正 今大路法師橘源良」「天保十二年辛丑九月廿日」の銘があります。
↑【参考写真 2022年4月1日撮影】
村山浅間神社の桜が咲く時期は 境内がとても華やかです♪
↑【参考写真 2022年4月1日撮影】
村山浅間神社参道の階段右横の桜は エドヒガンザクラ(江戸彼岸桜)と思われます。
↑【参考写真 2022年4月1日撮影】
村山浅間神社 狛犬の吽像と しだれ桜 (ヒトエベニシダレザクラ)
狛犬台座に「昭和五庚午年 建立」と彫られていますので、昭和5年 庚午 (かのえうま) に建立された様です。
↑【参考写真 2023年4月1日撮影】
富士山興法寺大日堂前のミツバツツジ (三葉躑躅) 
元禄年間に、幕府の寄進を受け、現在の境内の基礎が整えられたと考えられている事から、このミツバツツジの樹齢は 約300年だと推測します。
青色の線が 田子の浦 鈴川海岸からスタートして「富士根本宮 村山浅間神社・富士山興法寺大日堂」までの 22kmのルートです。
これから、いよいよ村山古道へと歩を進めます。

つづく...