この記事は 2022年に私が体験した事を「回想」として綴ったものです...


2022年7月10日(日)に 富士根本宮 村山浅間神社・富士山興法寺大日堂(神仏習合)にて富士山開山祭 採燈大護摩供が執り行われました。

2020年、2021年と新型コロナ感染拡大のため、関係者のみで規模を縮小して 富士山開山式が開催されたわけですが、2022年は 3年振りに京都の聖護院門跡をお迎えして、富士登山の幕開けを告げると共に、登拝者の安全を祈念して 盛大に富士山開山祭 採燈大護摩供が執り行われました。


ふじ爺は 同月29日から5泊7日で、 ソロでの「富士山峯入り修行 全行程を歩く」を前にしていましたので、村山の富士山開山祭に参拝させて頂きました。

採燈護摩供では「富士山峯入り修行成就」の護摩木を焚いて頂き、自身の願いを神仏に届けました。

↑「富士山 村山古道を歩く」の著者である、畠堀操八先生と一緒に記念撮影。
快く写真撮影に応じて下さいました。畠堀先生、ありがとうございます。
この年は 新型コロナ オミクロン株 BA.5が猛威を奮っており、マスク着用でのご挨拶とさせて頂きました。
↑聖護院門跡 宮城泰岳大宿と草分俊顕庶務主事に お声掛けさせて頂きました。
快く写真撮影に応じて下さいました。ありがとうございます。(村山の富士山興法寺大日堂前にて)
↑AM 11:20 禊神事「水垢離」が始まりました。
「ふじのみや」の法被を着ている左側の女性の方が、来賓のジュリア・ロングボトム駐日英国大使です。
右側の男性が、富士宮市の市長さんです。

なぜ駐日英国大使をお招きするのか?..
それは、万延元年(1860年)7月25日、ラザフォード オールコック郷(初代駐日英国公使で外国人最初の富士登山者)が 村山口登山道から山頂を目指し、外国人で初めて富士山頂に立ったからなんです。

↑AM 11:40 聖護院門跡 宮城泰岳大宿が 富士山開山祭 祭文の口上を述べられます。
↑写真の「村山口」の石碑は 聖護院門跡 宮城泰年門跡猊下が村山に納められた物です。
門主 泰年門跡猊下は 本日来られている宮城泰岳大宿のお父上です。

↑いよいよ!お導開きです。
村山口登山道入口に張られた注連縄を太刀で切り、神域と下界が繋がります。
↑村山古道 六道坂を進み、末代上人が祀られている「高嶺総鎮守社」を経由して村山浅間神社に向かいます。
↑村山浅間神社 拝殿にて正式参拝が始まりました。
神主さんは 村山の鈴木翔大さんです。
↑地元の子供達の行者問答(本当の本山派山伏かどうかを見極めるための問答です)が終わり、採燈大護摩供が執り行われる前に 邪気を祓い結界を清めるための一連の儀式が行われます。
まず「法弓」で東西南北と護摩壇に矢を射ます。五大明王と眷属(ケンゾク)に護摩壇の清浄を祈る儀式です。

※五大明王は不動明王を中心に、東西南北を守護する4人の明王が配されています。
★東..降三世明王(ゴウサンゼミョウオウ)..「阿閦如来(アシュクニョライ)の教令輪身。貪(とん:貪欲さ)、瞋(じん:怒り)、痴(ち:愚さ)の三毒と呼ばれる三つの煩悩をくだす」
★西..大威徳明王(ダイイトクミョウオウ)..「阿弥陀如来の教令輪身とされる。生あるものを害するすべてを打ち倒す」
★南..軍荼利明王(グンダリミョウオウ)..「宝生如来の教令輪身。外敵から人々を守り、煩悩を払って障害を取り除く」
★北..金剛夜叉明王(コンゴウヤシャミョウオウ)..「不空成就如来の教令輪身。敵や悪を食らいつくして善を護る。天台宗では烈火で不浄を焼き尽くすとされる烏枢沙摩明王(ウスサマミョウオウ)が代わりに配される」
と、されています。
↑次に「法剣」の儀式です。
これは 自らの煩悩や悪魔を退散させて、災難を除く密教の修法です。
↑次に「法斧」を使って、壇木を清める儀式で、護摩供に使用する「木」「水」と、「土地」の神に護摩供の安全を祈る儀式です。
↑火がついた二つの松明が持ち込まれ、儀式を取り仕切る宮城泰岳大宿が、採燈大護摩供 祭文の口上を述べられます。

↑宮城泰岳大宿が法剣で邪気を祓い、大宿が手元で乳木(にゅうもく)を一回転させてから護摩壇に投げ入れます。
↑煙を供物として、天上の神仏に届けるそうです。
↑護摩木が焚かれる間、宮城泰岳大宿は読経を続けます。
あらかじめ祈願や供養のために奉納された護摩木が投げ込まれ、その後 参拝者が一人ずつ結界の中に入り、願事を書いた護摩木を投げ入れます。
ふじ爺は「富士峯入り成就」と書いた護摩木を焚いて頂きました。
↑PM 13:00 晴天の中、無事に富士山興法寺 富士山開山祭 採燈大護摩供が終了しました。
そして19日後に、ふじ爺はソロでの富士山峯入り修行(全行程)を迎えます..

次回からは いよいよ「富士山峯入り修行」の出発!となります。

つづく...