2018年8月9日

ふじの町クリニックに再々検査結果を聞きに行き

がんであると宣告を受けた。

 

その一週間前の検査時に「かぎりなく黒に近いグレー」と

医者から言われていたので覚悟はしていたし

結果がステージ1のごく初期で部分切除で済むだろうと言われたこともあって、

前回よりも動揺は少なくがんを受容できたのではないかと思う。

いつがんセンターの予約が取れるのか気がかりがあるが

そのことに気をもんだところで予約が早くとれるわけでもないので

今すべきことは何かと考えた。

 

病院からの帰り、途中の空き地に車を停めて

ビジネスパートナーのUさんに電話をかけた。

彼女には成り行き上一週間前にすでに
乳がんの可能性がかなり高いことを伝えてあった。
 
もともとその日の晩には彼女とネットビデオシステムを使って
ミーティングする予定があった。
忙しいUさんを思えばそこで伝えた方が時間の節約なのだが
我が家は昔ながらの日本家屋で部屋の間は防音性に劣るふすまや障子であり、
まして仕事部屋にもなっている私の部屋は両親の部屋の隣、
その場でがんのことは話したくなかった。
電話で病院でのやりとりを報告させてもらい
夜のミーティングで今後の仕事スケジュールの確認と調整をさせてほしいとお願いした。
 
Uさんが「お父さんとお母さんにはいつこのことを話すつもり」と聞くので
「がんセンターの予約が取れていく日程が決まってからにしようと思う」
というと彼女もそれがいいといってくれた。
 
当初、がんセンターに行って詳しい検査を受けて、
本当にステージ1で部分切除でよいと正式確定しから話した方が
安心させられるかとも考えたがやめた。
 
私は今まで大学進学も結婚も離婚も、会社を興すときも
親や家族に相談することなく自分で決めて宣言するというスタイルだったが
歳をとって愚痴ぽくなってきた父に
「富士子は何も相談しないで好き勝手やってきた」と言われることも増えてきた。
 
親の知らないところでがんセンターに行っていたとわかったら
しかも、がんセンターは父もかかっていて母も付き添いで行っている
二人にとってはテリトリーみたいな場所だ、
黙って行ったらそのこと自体で泣かれかねない。
これから手術やその後の治療がどんなになるかわからないのが、
親にまた世話をかけてしまうことだけは確かだから、
ここはちゃんと向き合わないといけないと腹をくくった。
 
ふじの町クリニックでは、がんセンターに予約を入れる電話を明日してくれるそうだが
盆休み前で病院も混んでいるので返事がその日のうちにもらえるかわからないと言われていた。
返事が来るのは盆休み明けだろうか
混んでいるみたいだから初診にかかれるのは9月になるだろうな~とぼんやり思っていた。
 
母には定期健診でマンモグラティーが引っかかったことだけは話していたが、
その後再検査を受けにいったことは言っていなかった。
母が思い出したように「再検査行ったの?」と聞いてくることが
この間ないことを祈った。