※この投稿は旧ブログタイトル「如是我聞」で書かれたものです。現タイトルとはそぐわないかもしれませんがご了承ください。

 

なぜ授業でとりあげる?

 

とある学校の授業で、LGBの男性の話を学生に聞かせることがあったそうです。

 

その彼はゲイであるため、T、つまりトランスジェンダーという「障碍(がい)者」ではありません。

 

"「障害」という言葉は、もともとは「障碍(障礙)」と表記されていたが、戦後、簡略字体を採用する動きに伴い、「碍」「礙」は「害」という字に置き換えられた。そもそも「碍」は「さまたげ」という意味で、「傷つける、悪い影響をおよぼす」という意味の「害」とは根本的に異なる。そのため、本来の意味を通そうと、現在は「障碍」「障がい」と表現する団体・個人もある。"

「障害」「障がい」「障碍」って表記の違いはどうしてあるのかな? | 福岡・西鉄二日市駅前のライフ&キャリアデザイン事務所|セカンドライフ相談室|FPオフィス ミラボ (fp-milabo.com)

 

後天的な「性癖」によって男性恋愛嗜好となった方だそうです。

 

ちなみにその方は男性との性交によって「エイズ」に感染し、発症したという内容だったそうです。

 

その学生によると「話しを聞いて苦痛だった」「気持ち悪かった」と訴えています。

 

疑問を箇条書きにすると

・本人の意思では抗いようがないトランスジェンダーのような障碍者が抱える苦悩や生活のしづらさなどを理解することは必要と思われる。

 

・障碍者ではく、個人的「性」嗜好であるレズ・ゲイ・バイをなぜ授業の一環として子供たちに押し付けなくてはならないのか。

 

・なぜ数ある障碍の中のトランスジェンダーだけがLGBTとして取り上げられているのか。

 

・なぜ「性」嗜好が「障碍」と抱き合わせにして扱われ、広められているのか。

 

意図的にLGBを広める為に抱き合わせにされているのではないのか。

 

・数ある「性」嗜好、例えばロリータコンプレックス・フェチズム・BDSМ・服飾嗜好(コスチュームプレイ)などの中で、なぜレズ・ゲイ・バイだけとりあげられるのは他の性癖に対する差別ではないのか。

 

 

深刻な病気の拡散

 

またその学生が訴えるには「なぜエイズを蔓延させる温床となっているゲイを社会に普遍化させ、市民権を与えようとしているのか」

 

これにはこのときはじめて気づかされました。

 

主な感染経路は、性行為による感染、血液を介した感染・母子感染の3つです。

"性行為による感染"

現在最も多い感染経路です。

HIVを含む精液・膣分泌液・血液などが性行為によって相手の性器や肛門、口などの粘膜や傷口から体内に入り感染します。

HIV感染からエイズ発症まで|HIV基礎知識|北海道HIV/AIDS情報 北海道大学病院HIV診療支援センター (hok-hiv.com)

 

●感染経路は?
・性行為による感染

精液や膣分泌液を介して、あるいは、出血を伴うような性行為による感染です。異性間、同性間にかかわらず、エイズの感染経路としてもっとも多いものです。

エイズの正しい知識|げんき情報|大阪府医師会 (med.or.jp)

 

普段の性行為で「出血が伴う」というものをあまり聞いたことがありません。果たして生理中の行為なのか、歯茎の出血のあるキスなのか、SМによる流血なのか…???

 

そんなレアなケースよりも「肛門による性交における出血と感染」ではないのでしょうか。

 

だとすれば、エイズという「致死率の比較的高い」病気ににおいて、彼らのような特殊な「性行為」をする者が感染を拡大させ、さらにはそれが男女における普通の「性交」や、唾液、母子感染として、大人だけでなく赤子にまで感染を広げているのが事実ではないのでしょうか。(認識が間違っていたら改めますが。)

 

これを障碍者と同列、一くくりにして扱い、市民権を与えようとしているのは一体何の目的行為なのでしょうか。

 

そう、危険な病気を赤子にまで拡散させているという点について表現するならば、ではなくと言えてしまうのではないでしょうか。

 

 

LGBT批判は潰されていた!

 

記憶にある限りLGBTについて、拡散された当初に批判をしたのが自民党の杉田水脈議員でした。

彼女は議員になる前から慰安婦問題で単身国連に乗り込み通訳もなしに日本の潔白を訴え続けたような闘志です。

 

杉田氏がLGBTはおかしいとした文を新潮45という雑誌に寄稿したところ、リベラル議員やメディアにより大炎上し、杉田議員も謝罪の上撤回、「何が問題なのか」という記事を掲載した新潮45も謝罪の上休刊させられることになったのです。

 

このメディアこぞっての大批判は悪質な「切り取り」が行われ、まるで東京五輪の際の森元代表の「女性発言」にも通じるもので、それによるメディアリンチが行われ、彼女は「レイシストだ」とレッテル張りまで行われ発言を封じられるという、メディア史上にも残るほどの悪質行為と認識しています。

 

 

では杉田議員が2018年にすでに何を指摘していたのか検証してみましょう。

 

先に記載しますが、まさに今リベラルメディアが「仕掛け」ていること見事にけん制しています。予知能力者か情報支配者なのかというくらい。(こんなに叩かれ撤回させられたということは、ここまで触れてはいけないことだと知らなかったのでしょうが)

 

LGBとTを一緒にするな

 

・LGBTと一括りにすることが自体がおかしい

T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべき。一方LGBは性的嗜好

 

マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいのか

 

・世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。

 

多様性は必要不可欠か

 

・多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が現実に海外では出てきている

 

リベラルメディアの世論誘導

 

 朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好き

 

LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものなのか

・日本の社会は迫害の歴史はなくむしろ寛容

 

・LGBTの当事者は社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらい

LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れればLGBTにとって日本はかなり生きやすい社会

 

・ リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたう

 

・行政が動くということは税金を使うということ。少子化対策のためにお金を使うという大義名分があるが、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるのか

 

彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。

↑ココだけキリトリ! レッテル貼り!

 

最後にこう指摘しています。

 

「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。

 

逆に考えれば、「秩序」を無くし、崩壊させていくことが目的ならば、「常識」や「普通であること」を見失わせていく、のがリベラルメディアの仕事なのか??!!

 

これだけ彼女や雑誌、その言い分を徹底的につぶし、その後に同様の意見を吐かせないようにしたのは、それがまさに今後「起こそうとしていた活動そのもの」だったから、なのかもしれません。

 

今「LGBT 杉田水脈」と検索しても「撤回」「謝罪」などがほとんどで、たまに擁護する記事が載るくらいで、掲載された全文は余程頑張らないと見つかりません。

 

掲載させたら余程都合が悪いのでしょうか。

 

そんな中、手起こしで全文を掲載してくれたありがたいサイトがあります。転載歓迎とのことなので最後にリンクとともに全文を転載させていただきます。

 

日本を崩壊させられないように、杉田議員にも下のサイトにも頑張ってほしいものです。

 

 

この1年間で「LGBT」(L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)がどれだけ報道されてきたのか。新聞検索で調べてみますと、朝日新聞が260件、読売新聞が159件、毎日新聞が300件、産経新聞が73件ありました(7月8日現在)。キーワード検索ですから、その全てがLGBTの詳しい報道ではないにしても、おおよその傾向が分かるではないでしょうか。
 朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。発行部数から言ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう。
 最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。
 しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
 そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
 どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。
 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
 これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
 リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。
 例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか
彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

 LGBとTを一緒にするな

 ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括りにすることが自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させて行くのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。
 一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
 朝日新聞の記事で「高校生、1割が性的少数者」という記事がありました(3月17日付、大阪朝刊)。三重県の男女共同参画センターが高校生1万人を調査したところ、LGBTは281人で、自分は男女いずれでもないと感じているXジェンダーが508人。Q(クエスチョニング=性的指向の定まっていない人)が214人いて、合わせて1003人の性的少数者がいたというものです。それこそ世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。調査の対象は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。
 最近の報道でよく目にするのは、学校の制服問題です。例えば、「多様性、選べる制服」(3月25日づけ、大阪朝刊)。多様な性に対応するために、LGBT向けに自由に制服が選択できるというものです。女子向けのスラックスを採用している学校もあるようです。こうした試みも「自分が認識した性に合った制服を着るのはいいこと」として報道されています。では、トイレはどうなるのでしょうか。自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。
 実際にオバマ政権下では2016年に、「公立学校においてトランスジェンダーの子供や児童が“心の性”に応じてトイレや更衣室を使えるようにする」という通達を出しました。先ほども触れたように、トランスジェンダーは障害ですが、保守的なアメリカでは大混乱になりました。
 トランプ政権になって、この通達は撤回されています。しかし、保守派とリベラル派の間で激しい論争が続いているようです。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。
 最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。
 オーストラリアやニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、パスポートの性別欄を男性でも女性でもない「X」とすることができます。LGBT先進国のタイでは18種類の性別があると言いますし、SNSのフェイスブック・アメリカ版では58種類の性別が用意されています。もう冗談のようなことが本当に起きているのです。
 多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
 「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。
 
「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。