今回は、天理駅から平端駅まで進んでいきます。

天理駅です。DSCF1048_convert_20090726180900.jpg
立体式になっており、1階が近鉄天理駅、2階がJR天理駅です。
昔は、それぞれ別の駅舎で、場所も違ってたそうです。
この辺も調べてみたいと思います。

前栽駅です。
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天理~平端間は、複線化されて、これといった遺構もありません。

二階堂駅です。
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近鉄天理線は、昭和63年に複線化されました。
二階堂駅から平端駅に向かう天理発西大寺行きです。
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複線化されて、2本の線路のうち、どちらが新しく作られ、どちらが古くからのもの、つまり軽便時代からの路線なのかがわかりませんでした。
自分的には、天理行きの路線が昔からのものだと思っていたのですが・・。

二階堂駅を過ぎて、平端駅の手前の水路です。
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自転車しか通れない細い道をたどると、ここに行きつきました。
左が平端駅、右が二階堂駅方向です。
平端行きの橋脚だけがレンガ積です。
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つまり、平端行きの線路が天理軽便時代からの線路だった事がわかります。
天理行きの線路は、複線化された時に新たに架設されたのです。
しかし、この橋脚が軽便時代のものかというと、わかりません。
大正11年に平端 - 天理間を標準軌に改軌して電化していますので、改軌の際に作り直されているかもしれません。
だけど、少なくてもこのレンガ積は、大正11年にさかのぼれるものだと思います。
歴史がありますよね。

さらに平端駅直近、佐保川の横の橋脚もレンガです。
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やはり平端行きのみ、レンガ積です。
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佐保川を越えるとすぐに平端駅です。
佐保川は、完全に護岸整備されていて、橋脚跡はありません。
川底も常に水がたまっており、遺構は見えません。

佐保川から見た平端駅。
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真ん中の白い建物を挟んで左が、近鉄橿原線。右が天理線です。
もともと天理軽便が走っていたところに、大軌が畝傍線を作り、軽便を横切ったことになります。
軽便時代には、平端駅はありませんでした。天理軽便が買収され、畝傍線(現橿原線)が作られて、平端駅が作られました。
平端駅完成後、天理軽便は、平端駅~新法隆寺間の運転となったのです。
大正11年に、平端~天理間を広軌電化した際、軽便を運休せずに、4月1日をもって切り替えたといいます。3月31日までは軽便として路線が繋がっていたものをどうやって切り替えたのでしょう。

線路を分断された形になるのですが、その時の軽便の路線がどうしても再現できません。
平端駅の天理行きホーム、1番線は昭和48年に増設分離されています。
ですので、それまでは直接橿原線の線路に組み込んでいたはずですが。。
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白い建物の奥に変電所があります。
天理軽便が平端駅発着になった後、変電所のあったあたりが路線の端になり、ターンテーブルがあったようです。

変電所内に当時の面影はなしです。
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変電所前の倉庫の敷地。
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(´-`).。oO右奥なんて、いかにも当時のガソリンカーを留置する場所っぽいですけどねえ。
あくまで想像です

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変電所から天理方面を見ます。
たぶん、この辺から佐保川に向けて直接線路が延びてたんでしょうね。
で、合併後はこの変電所あたりに駅舎があったんでしょう。

さあ、いよいよ廃線跡は佳境に向かいます!