お久しぶりです。
HNをつくねから、「たまかけ」に変えました。
よろしくお願いします。
知らずやすでに、平成25年。
会社の書類に平成24年と誤記することもなくなりました。(#^.^#)

今年も一人散歩徘徊に精を出したいと思います。
去年できなかったことや、行ってみたいところもたくさんあります。
お楽しみに。

で、今日。
会社は休みで、しかも大雨。
けど行きましたよ、ひとりさんぽ。

長靴履いて、敗れたビニール傘。
山頭火みたいないでたちかも。
カメラを持ってでようかとも思ったんですが、なんせこの雨。
壊れたら嫌だし、おいてきました。

どこに行ったかというと、山の辺の道。
帰りにビール買って帰るつもりだったので、75リットルのでかいリュックを背負い。

夜都岐神社に行きたくなってたものですから。


$ひとり散歩徘徊紀行-説明文

春日大社の流れをくむ古い神社です。
神社にはいると、こじんまりしており、歴史を感じます。
ここでお願い事をして(>人<;)次は石上神宮へ。

雨の中、山の辺の道を歩いている人は皆無。
僕だけ。
でも、それが良かった。すごく気持ちがいい。

そして石上神宮へ。
ここは、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
 
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。
 
平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。

ここの宝物に、七支刀というものがあります。
ひとり散歩徘徊紀行


この七支刀は『日本書紀』に神功皇后摂政52年に百済から献上されたとみえる「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると推測されており、前述の推定に誤りがなければ、この七支刀の銘文は『日本書紀』の紀年を訂正し、その伝承を裏付けることになります。しかも、この銘文は、我が国古代史上の絶対年代を明確にする最古の史料なのです。
そして、この七支刀は起死回生の願いを叶えると言われるものです。
そのお守りを買いました(*´∀`*)

$ひとり散歩徘徊紀行



実は切実な願いがあって、起死回生という言葉を信じて願掛けをしました。
神頼みだけではよくないし、自分の努力も絶対に必要です。
そこんとこを勘違いしないように今年も頑張ります。

そして、帰りの駅近くの店で。
$ひとり散歩徘徊紀行


98円のフリースの手袋を買いました。
実は手が冷たくてもうたまらん。
こんなに安くていいのって感じで買いました。即決。
ま、クソ犬の散歩の時にでも使えるでしょ。('∀`)

そんなこんな半日旅でしたが良かったです。また行きたいですね。
福井県は、若狭に行ってきました。
ふぐ食べツアーです。
地元のバス会社のツアーでした。

ふぐは、10ねんぶり。
(≧∇≦)楽しみ!


$ひとり散歩徘徊紀行



うお~!
ご馳走じゃ!

$ひとり散歩徘徊紀行


トラフグっすよ!
マジで。
食うぞ~!


$ひとり散歩徘徊紀行


うみゃーーーーーーーーーーー!
ぽん酢との相性最高!
ほんとおいしいよ。
次はいつ食べれるかなあ。。

なかなか満足した旅行でしたよ!
軍人墓を巡っていて、気になることがありました。
本来奈良県のっ地元連隊は歩兵第38連隊。
中国大陸で戦った後、グアム島に転進。
そこで玉砕したのです。

でも、軍人墓を巡っていて、昭和13年前後は中国戦線での戦死者が多く、お墓も立派です。
それが、太平洋戦争が始まるころのお墓は、小さく軍人さんのお墓が横一列に並ぶような形になっています。

そして。
戦死地が、インパール、インド、ビルマが多い事です。
なぜ?
38連隊は、支那戦線からグアムに直接行ったはず。

謎でした。
腑に落ちん。

そしたら!
なんと、編成地が奈良県歩兵第138連隊という連隊が創設されていたのです。

簡単にその歴史を書きます。

創設時に第116師団に編合となり、大陸に出動。
漢口と南京を結ぶ揚子江畔の警備に従事。
昭和17年12月、編成改正により、歩兵第26旅団に編合となる。
昭和18年2月10日、南方進出の命を受け、シンガポールに上陸し、マレー半島の警備についた。
3月22日、第31師団臨時編成の命令を受け、5月25日編成地ビルマ・ペグーに集結。
10月、チンドウィン河畔の警備につき、インパール作戦の準備に従事。
インパール作戦では、連隊はインパール北の要地コヒマ攻略の命を受ける。
昭和19年3月、チンドウィン河を渡河し、アラカン山脈を進み、3月27日にインド国境を越えた。
4月6日、第1大隊がコヒマに突入し、敵の倉庫群を占領。
そこへ、先にコヒマ突入を終えていた歩兵第58連隊から、今回占領したのは旧コヒマであり新コヒマは別にある、との報告を受ける。
旧コヒマには、これといった軍事施設はないが、新コヒマには蜂の巣状に隆起する高地に頑強な陣地があり、第31師団隷下の各部隊は、この一連の攻略を急ぐこととなる。
4月8日、第1大隊はイヌ高地に対する攻撃を開始したが、英印軍の攻撃は凄まじく、2日間の攻撃で死傷者が続出し後退。
第2大隊はコヒマ病院陣地を攻撃したが、激しい抵抗を受け奪取に失敗。
4月23日、第1大隊は再度イヌ高地を攻撃し、激しい白兵戦を展開したが全滅に近い損害を受ける。
以後、挽回する兵力は残っておらず、敵に対しても防戦一方となり、食糧補給も途絶え飢えに苦しむこととなる。
5月14日、圧倒的な火力を誇る英印軍の前に、三叉路高地を放棄。
5月19日、日本軍の拠点である5120高地が英印軍の総攻撃を受けるが、死守するが、第2次攻撃の砲撃で高地は禿山と化した。
6月1日、第31師団長佐藤幸徳中将は遂にコヒマを放棄し、撤退命令を下した。
翌2日から豪雨の中の撤退が始まったが、飢えと病気と疲労、加えて敵からの攻撃を受けての悲惨な撤退となる。
7月9日、インド国境を突破し、9月12日、サガインに集結。
その後、盤作戦、イラワジ会戦、メイクテーラー会戦と戦闘を続け、サルウィン河防衛戦の最中に終戦を迎えた。

そうなのです。
あの、過酷なインパール攻略戦に参戦していたのです。
烈師団に所属していたにです。

烈師団といえば、師団長は、佐藤中将。
軍団長は、牟田口中将。
無謀な命令びりは、ご存知のとおりですが、その時、佐藤師団長は、第15軍に対し、批判の電信をうち、このままでは部下が餓死するのを待つのみ、と、命令に反して撤退した。

「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」
と返電し、6月1日に兵力を補給集積地とされたウクルルまで退却させた。この際にビルマ方面軍宛に、
「でたらめなる命令を与え、兵団がその実行を躊躇したりとて、軍規を楯にこれを責むるがごときは、部下に対して不可能なることを強制せんとする暴虐にすぎず」
「作戦において、各上司の統帥が、あたかも鬼畜のごときものなりと思う……各上司の猛省を促さんとする決意なり」
「久野村参謀長以下幕僚の能力は、正に士官候補生以下なり。しかも第一線の状況に無知なり」
「司令部の最高首脳者の心理状態については、すみやかに医学的断定をくだすべき時機なりと思考す」

などの激しい司令部批判の電報を送った。6月3日に師団は一斉にコヒマから撤退したが、退却先のウクルルにも弾薬・食糧が全く無かったため、佐藤は独断でさらにその後方のフミネまで後退した。
この事件は、佐藤師団長が発狂した、との結末で終わらされている。
なぜ、発狂なのか?
食なし、弾薬なし、補給なし。
アラカン山脈を山砲を分解して運んだ兵士の苦労。
あの時代にそれが言える、言った佐藤中将は本当に兵士のことを考えていたのでしょう。
奈良の連隊が、インパール作戦に参加した事を知り、こういう歴史があったのだな、と考えさせられました。
これから、もう少し深く調べたいと思います。


お久さしぶりです。
長らくの怠慢、ごめん仕ります。。
なんとか、生きてたよ。
まあいろいろあったけど、つか、今もあるけど、生きてます。

で、この前、職場の友人達4人で鹿児島旅行に行きました。
神戸空港で出発待ち。

$ひとり散歩徘徊紀行

空路1時間でもう鹿児島。早いね~
レンタカーを借りてお酒が飲めない人を運転手に指名して(鬼)
レッツら・ゴー。

ここは戦艦大和のロケ地です。
$ひとり散歩徘徊紀行

このはるか先に大和が沈んでるんですね。
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黙祷をささげて、お昼ご飯に。
枕崎で、カツオの頭の煮込みと、黒豚のしゃぶしゃぶ。
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んまーーー!!
昼からビールもくいくい入るよ。
ごめんね、運転手君。

で、知覧特攻基地や万世基地で、先の大戦で命がけで日本を守ってくださった方々に頭をさげ、決してあなたがたの苦労や悲しみは無駄ではないですよ、今の日本が分割もされずに残ったのは、あなたがたの命懸けの気迫のおかげです。
わすれません。ありがとう。。。


そして、そんな感傷も心にのこしつつ、こおは鹿児島地鶏。
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んまーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
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完食。

おいしいお酒と食べ物でいい夢を見ました。


さて。翌日。
フェリーで鹿児島市内へ。
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桜島ってすごいね。
溶岩がゴロゴロ。
噴砂も砂場みたく積もっています。
観光センターでしばし買い物。
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ひとしきり堪能して、フェリーの順番待ちの時!
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桜島火山が噴火!
こえ~~~~!!
地元の人はふつーーーーーーーーーに過ごしていましたが、ぼくらはパニクる。
岩石が降ってくるぞ~!アルマゲドンや~~~~!
アホです。。
でも怖かった。

そんな鹿児島旅行ですが、最後に霧島温泉に入って満足満足。
(≧∇≦)嬉しい旅行でしたよ。
春です。春。
桜も咲きましたね~。やはりお花見はキチンと行きたいです。
で、今回は大和郡山城のお城祭りに行ってきました。
桜は、7分咲きくらいかな。
少し寒かったけど、きれい。



さすがに金魚の町。金魚が。


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んで、天守閣へ。

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さすがにきれい。
寒かったけど、よかったよ。
毎年来たいね。
近鉄郡山駅から歩いて5分だから。
ひとり散歩徘徊紀行
最近、一週間分の弁当を週末に作っています。
弁当にして、冷ましてから冷凍。
で、仕事行く前に電子レンジでチンして持って行く、と。
なかなかいい感じ。


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日によって大きさも違うけど、それは気分で。
本当は、仕出しの弁当でも注文すれば380円であるんだけど、自分で作ればさらに安いし。

それと、本当の理由は、会社の人たちが、奥さん手作りの弁当を持ってきてること。
さすがに主婦の弁当は、綺麗だ。
野菜もはいってるし、バランスもいい!
うらやましス!
負けてらんねえ!ってとこが本音かな。

今日なんてブロッコリー入れたもんね~^^
そういうことも案外楽しいもんだ。
そろそろいい歳だし、健康に気をつけていきたいね。
ひとり散歩徘徊紀行


まあ寒いこと。
今日は完全防寒で、ひとり夜間散歩。
寒かった。
でも星を見ながらの散歩は気持ちいい!

写真は、昼間のものだけど、寒々しいなか、なんか春もそこまで、みたいな感じもせずもない。
かな?

そんなこんなで最近更新してなかったけど、これからはマメにやります。

そして。

ひとり散歩徘徊紀行



つくねにそっくりな竜ちゃん。
飲み屋でも竜ちゃんで通ってます。
似てるからあげるわ~ww

そうですか。はいはい。ありがとね。

竜ちゃん、これからもがんばるからね!
最近は、だいたい1時間ほど徘徊してます。
けど、まあ稲刈りも終わり、冬の寒々しい景色が寂しいですねえ。

移動手段は、陸式弐号機
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軽くていい奴。初号機がボロボロになったので導入されました。

普段のコースはこんなんです。

$ひとり散歩徘徊紀行


田舎ならでは。

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冬枯れとはいいながら、花も綺麗です。

$ひとり散歩徘徊紀行

いつも、ここを通りながら思うんだけど、人生の岐路もこんな感じで、どっちに進むかで結果が大きく違ってくるよなあって思います。
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さてさて、これからどうなるやら。
徘徊しながらいろいろ見つけていきましょうか。
稲刈りは終わると、妙に寒々しい景色。



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これから寒くなると、風景だけでも冷えるような感じ。

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な、感じで約1時間の徘徊でした。
今日の晩御飯は、味つき焼肉。
ピンボケが残念(ノ_・。)

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初めて青森産のお米を買いました。
その名も、つがるロマン。
おしゃれだね~

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で、となりにあるのが、ナイアガラの水。
30本だったかな?それで590円。安い!
今までは、水筒にお茶入れてたんだけど、これなら手軽で便利だね。
自販機で買う気しない。

さて、おいしい新米を買ったことだし。
おいしいものでも作ろうかな。


マイ部屋の飾り。

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