※座談会の御書解説

・松野殿御返事

「通解」

世の中が辛く感じられる時も、今生の苦しみさえこのように悲しい、ましてや来世、地獄に堕つる苦しみはどれほどであろうか・・・と思って南無妙法蓮華経と唱えなさい。

 

また、嬉しい時も、今生の喜びは夢の中の夢のごときものであり、霊山浄土(りょうぜんじょうど)の悦びこそが真の悦びである、と思って、また南無妙法蓮華経と唱えなさい。

 

そして、退転することなく修行して、最後、臨終の時を待ってごらんなさい。

 

妙覚(みょうかく)の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんとすばらしいことであろうか、

 

法界は寂光土(じゃっこうど)で、瑠璃(るり)をもって地面とし、金の縄をもって八つの道の境界を作っている。

 

天より四種の花が降り、空に音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。

 

我らもその数の中に列なって、遊戯(ゆうげ)し楽しむべきことは、間近に近づいている。

 

信心が弱くしては、このようなめでたい所へは、決して行くことができないのです。

 

「解説」

本書は、日蓮大聖人が身延に御入山されてから約二年半を経た、建治二年にお認めになられたお手紙です。

 

本書を賜った松野六郎左衛門殿は、富士川の西に位置する庵原郡(いはらごおり)松野に住んでおり、

 

大聖人にはやくから帰依していた南条家と姻戚にあたり、そのつながりから日興上人に縁し入信したようです。

 

本書は、すでに晩年を迎えている松野殿が、

 

「大聖人の唱えられている題目(南無妙法蓮華経)の功徳と我々凡夫が唱える題目の功徳とどれほどの違いがあるのでしょうか」

 

と御質問申し上げたお手紙に対する御返事の書であります。

 

大聖人は、題目の功徳は同じであるとされながらも、

「法華経の心に背いて唱える題目ならば功徳に差別が出てくる」

 

として、「十四誹謗」の一いちと、法華経の心に適った信仰の在り方というものを、具体的に御教示くださっております。

 

今回の引用の箇所は、その末文にあたり、大聖人の教えを守って、強盛に仏道修行を貫き通すならば、

 

必ず一生成仏を遂げて、三世(現在・過去・未来)にわたる絶対の幸福を得ることができる、と確約くださっています。

 

私たちが信仰をする目的、それは、三世(現在・過去・未来)に揺るぎない成仏を遂げることにありますが、

 

日蓮大聖人は、その究極の目的を果たすべく、一生涯、強盛に信仰を貫き通すことをうながされています。

 

おろかな凡夫の常として、生活上に行き詰まりや苦しいことが起きると、そのことで頭がいっぱいになって、

 

勤行にも身が入らなくなってしまったり、また、嬉しいことがあると有頂天になって信心を忘れてしまったり、というようなことがあるものです。

 

しかし、大聖人は、

「一睡(いっすい)の夢であるはずの今生の苦しみですら、これほど苦しく感じている。

ましてや後生(ごしょう)に地獄に堕ちる苦しみはどれほどのものであろうか」

 

「今生の悦びは夢の中の悦びにすぎない。本当の悦びは、仏果を成じて、三世にわたって崩れない成仏境界を得ることである」

 

と肝に銘じて、なおいっそう唱題行(南無妙法蓮華経を唱えること)に励むべきことを教えられています。

 

すなわち、今生の出来事に一喜一憂して信仰を見失うことなく、後生に成仏を遂げることを最大の願いとして、

たゆまず怠らず、信心を進めていかなくてはならない、というのであります。

 

また、このように、後生に成仏を遂げられるような強盛な信仰をしていくならば、そこに大功徳が生じ、

今生における悩み・苦しみも必ず解決することができ、生命力に溢れた毎日を送ることができるのです。

 

しかして大聖人は、

「退転なく仏道修行を貫き通し、最後、臨終の時を待ってみなさい」

と仰せられ、成仏の境界の幸福感がいかに大切かを説かれています。

 

これは、成仏の境界を比喩的表現をもって示された御金言ですが、では、もし我々が臨終を迎えて、本当に成仏を遂げたならば、その生命はどこに行くのでしょうか。

 

その生命は、戒壇の御本尊の中に帰入・帰一して、大聖人をはじめ御歴代上人方と共に、

常寂光(じょうじゃっこう)の境界において自受法楽(じじゅほうらく)できるのでありましょう。

 

 

・霊山浄土-「霊山」とは霊鷲山(りょうじゅせん)

釈尊が法華経を説法した場所。仏の住する清浄な国土のこと。寂光土。

 

・妙覚の山-「妙覚」は仏道修行の最高位たる仏の位であり、菩薩が修行をして一つずつ位を登って最後に妙覚に至る、というところから菩薩の境界を山にたとえられたもの。

 

・法界-「法」とは十界三千の諸法を言い、「界」とは差別、境界をいう。

宇宙すべての事物・事象のこと。

 

・八つの道-清らかな、涅槃(悟り)に至る道。八正道のこと。

八正道とは、経によって異なりもあるが、

1、正見(世の中や仏法に対する正しい見解のこと)

2、正志(正しい志のこと)

3、正語(正しい言葉のこと)

4、正業(正しい行いのこと)

5、正命(正しい生き方のこと)

6、正方便(正しい修行法のこと)

7、正念(正しい観念のこと)

8、正定(いっさいの悪を捨てること)

 

・四種の花-インドで最も尊重された四種類の花をいう。

「曼陀羅華(まんだらけ)」・「摩詞(まか)曼陀羅花」・「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」・「摩詞(まか)曼珠沙華」のこと。

 

・常楽我浄(じょうらくがじょう)-仏の境地にそなわる四つの徳。

「常」とは、永遠に崩れない境地。

「楽」とは、絶対の幸福感。

「我」とは自由自在な主体性。

「浄」とは汚れない清浄な境地。