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「諸宗破折ガイドより抜粋」

「破折の要点」

・自然神

自然界の諸現象に対して古代の人々が、畏敬と恐怖の念から想像力を巧みにし、勝手に生み出したところの「自然神」や「生活神」は、単なる観念的なものでしかありません。

このような架空の神には、「真に人々の生活を護ってくれる力」はないのです。

 

・神話神

神話では、淡路島をはじめ四国・隠岐・九州・佐渡・本州などが「国造り」されたとするが、北海道・沖縄については論及されておらず、ましてや他の大陸等については一切述べられていない、実に偏狭な教えであります。

 

また、神話による日本の神々には、古代人の観念から生じた根拠のない「創造神」をはじめ、怒りや怨み等による「タタリ神」(祟り神の雷神が雷除けの菅公(かんこう)として学問の神・天神信仰に昇華し、祟り神の金神(こんじん)が後に救済神として変化し、疫病神の牛頭(ごず)天王が祇園社に祭祀されるなど)、

 

または感情的になって権力や武力で相手を押さえつける「神」(暴虐の限りを尽くす須佐之男命)、

 

さらには相手を裏切って得意然としている「神」(兄弟で争う海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ))など、煩悩に振り回される神々が多く存在しており、それらを信仰の対象としても真の救いにはなりません。

 

・人物神

歴史上で功績のあった人を「人物神」へと昇格させ、崇めていますが、その神とされている人物自身が、実際に自己の煩悩さえも解決できな「一介の凡夫」であることを知るべきであります。

 

歴史上の人物の功績が尊敬に値いするとしても、それをもって直ちに人々の願いを叶えてくれる力があるなどと考えることは誤りなのです。

 

 

・仏教で説く神

仏教で説く神は、真に人類を守護してくれる力を有し、国境を越えたあらゆる民族とも融和する「寛容性」と「普遍性」をもっています。

その仏教を日本民族は受け入れて、概成宗教であった「神道」と融合し、国家の安定をはかっていったのであります。

仏典では日天・月天をはじめ梵天・帝釈天など多くの神を明かされているが、個々の神を拝む対象としては説かれていません。

 

「法華経」安楽行品には、

「諸天昼夜に、常に法の為の故に、しかもこれを護衛し。」

 

と、また陀羅尼(だらに)品にも、

「法華経を読誦し、受持せん者を擁護して、その衰患(すいげん)を除かんと欲す。」

と、諸天の神々は常に正法である「法華経」と、その「行者」を守護することを明かされています。

 

このように仏教では、仏と神の関係を「仏(正法)が主」で、「神を従」として正しく説いています。

にもかかわらず、従としての神のみを信仰することは本末転倒であり、なんら利益にもつながりません。

 

日蓮大聖人は、「立正安国論」に、

「世、皆正に背き人ことごとく悪に帰す。故に、善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して帰らず。これをえて、魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。」

と説かれ、法味に飢えた神は天上界に帰ってしまい、神社には悪鬼・魔神が住み、災難を起こす元凶となっている、と仏法の道理を示されています。

 

したがって、神社信仰は、多くの災厄をもたらす結果となるのです。