※仏典童話「おとし穴」
お釈迦様がいつものように、弟子達にお話をしてくださっておりました。
あるところに、若い僧と妻と母親と三人で暮らしていました。
その僧は、自分の母親をとても大事にしていました。
妻は、夫に良く思われたいと、母親の世話をいつもしていました。
僧は言いました。
「君はえらいね、いつも母の世話を嫌がらずやってくれている。母も、とても喜んでいるよ。」
しかし、妻はしだいにその世話がうっとうしくなってしまいました。
妻は夫に猫なで声で言いました。
「お母さんには、もっともっと幸せになって頂きたいわ。
でも、わたしがどんなに骨を折っても、この世ではこれが精一杯。
お母さんが、その命を終えて天上の世界に生まれたら、わたしに遠慮いらず、ずっと幸せでしょうにね。
あなた、そんな方法を知ってらして・・?」
僧は言いました。
「君は、母のことをそんなに深く思ってくれているんだね。嬉しいよ。
お釈迦様の話では、他の人のために火に飛び込んだ者が、のちに天上の世界に生まれたとされているよ。
でも、人の命の寿命はいつか分からない。
最後までまっとうするのが大事だと思うよ。
わたしは、今の三人の暮らしで十分に幸せだと思っているよ。」
妻は、その話を聞いて、
「しめた!」と思いました。
しばらくして、村のお祭りがありました。
広場の真ん中に穴を掘って、
マキを大勢で積み上げ、大きな焚き火を作りました。
そうして、みんな焚き火をかこんで、飲んだり歌ったりしました。
やがて夜もふけて、焚き火の周りも人がほとんどいなくなりました。火も消えかけてきました。
いるのは、僧と妻と母親だけ。
隙をみて、妻は焚き火にマキをくべて、また大きく火がともりました。
そして、母親を焚き火の裏に呼び出して、背中から突き落としてしまいました。
妻は、大きな叫び声を上げました。
「あなた、早く来てー。お母様が、お母様が焚き火の中に落ちてしまったわ!!」
僧は、急いでかけつけましたが、母の残りの姿もなく、大きな炎がメラメラと揺れていました。
妻は言いました。
「実は、わたし、足をくずして焚き火に落ちそうになっていたの。それをお母様が助けてくれたの。だから、落ち込まないで。
きっと、お母様は天上に生まれて、今以上の幸せに包まれているわ。」
そうして二人はウチに帰りました。
しばらくして、残り火も消え去り、あたりは何も見えないくらい真っ暗な夜になりました。
けれども、月だけは大きく輝いて、細い木の上にふくろうがとまっていました。
すると、その細い木のもとで泥棒がなにやら話しをしていました。
いましがた、仕事を終えて、手に入れた金銀財宝の袋を仲間と確認しているところでした。
すると、土の中から不思議な声で、
「水をくれー・・水をくれー」と聞こえてきました。
泥棒はビックリして、逃げていきました。
土の中からモコモコとはい出てきた者は、なんと母親でした。
妻に突き落とされたさいに、勢いが付きすぎて、焚き火を突き抜けて、その向こうの土の中に母親はめり込まれてしまったのでした。
それで、少しの火傷だけで母親は助かったのでした。
次の日の朝、母親は、泥棒の残した金銀財宝を身に着けて、
光輝く姿でうちに帰りました。
「心配かけてごめんね。
わたし、生まれ変わって、帰ってきたの。
お詫びのお土産もたくさんあるわよ。」
二人は驚いて、言葉が出ませんでした。
数日後、隣の村でお祭りがありました。
いそいそと妻は出かけていき、お祭りの火の中に笑顔で飛び込んだのでした。
お釈迦様は、弟子達に言いました。
「このように、人は欲に染まると正しい判断も出来ずに、身を焼き尽くしてしまうのです。」
お釈迦様は、そう言って深く目を閉じました。
おしまい。