たまには、自分の体験談も含めてつらつらとそれぞれの邪宗のことを書いてみようかと思います。
・禅宗
「黄檗宗(おうばくしゅう)」「臨済宗(りんざいしゅう)」「曹洞宗(そうとうしゅう)」などを総称されて禅宗がありますが、お釈迦様から、始祖の達磨(だるま)までの正しい仏法(捏造)の系譜を主張したり、それぞれのお寺でも独自の動きも見られます。
以前、私が曹洞宗のお寺で法事の際に紙芝居に呼ばれ、そこでは住職の考えた独自の宗歌?なるものを歌っていました。
まず、経典に乗っ取っているか、それが真実の教えなのかどうか、それで人を救えないのであればその教えは間違っているのではないだろうか、真実の教えはどれなのだろうか、などの考えをめぐらさないのは「邪宗の害毒」とも言えるかもしれません。
達磨は、両腕が壊死して亡くなったと言われています。これも正法を曲げて伝えた罪障でしょう。
子は親に似る者であり、その教えの影響受けている人、親族、知り合いにその宗派の人がいるなら体の調子をうかがった方がいいかもしれませんね。
・真言宗
以前も破折記事で書きましたが真言宗の教えの元としている経典も捏造されたもの。
成仏が叶うのは「法華経」しかないのに、その当時に流行っていた法華経からの文を引用して取り込んだのです。
今でいう、コピペしてパクッて自分の言葉にしたわけです。
理論がもともとからおかしいために、事実も起こるわけもなく。成仏できない教えなのです。
そして、繋がる大日如来は実在しません。
これは、念仏の阿弥陀如来と同じ原理ですが、実在しないものに手を合わせ繋がっていると、自分自身も徐々に空洞(空っぽ)の人間になっていくのです。
自分に自信がもてず、自分の命さえも大事にしない人間になっていきます。
そして、お祓いなどの神社まがいのことをやってるお寺もあり、もともとの経典が間違っているため、それに依っている人(住職・そこに来る人)が人生迷っていくのは邪宗あるあるなのです。
それに、正しい法が広まっておらず、その法を力の源としている神々は力を失って天に帰って、神社には人を正しく導く者はいないのです。そんな「正しくない場所」になんども足を運べば、その人の人生も間違った道に導かれてしまうのは「道理」というものです。
余談ですが、Aさん(法華講員)とBさん(法華講員、入信してまもない人)とCさん(法華講員、入信してまもない人)がいて、あるときCさんが「危篤状態」になり、BさんはAさんに電話で助けを求めていました。助かるようにお題目(南無妙法蓮華経)を唱えるように言っていましたが、ふと、Cさんの家に神社の「お守り」があることが分かり、それをすぐ捨てさせました。
Cさんは嘘のように息を吹き返した、という話です。
もう一つ余談ですが、地蔵信仰というものが昔からありますね。昔話にもよくお話が登場します。
けれど、これも対象物を地蔵とし、シンクロを続けているとその者は、血の通わない石の塊の「地蔵」になっていくのです。
知り合いが、まだ若いのに脳溢血で倒れてしまい、体に大きな麻痺を抱えてしましました。
調べたら、その「邪宗の害毒」の可能性が出てきたのです。
・天台宗
中国の天台大師は「法華経」こそ最勝深秘の教えであると説き人々を救済してきました。
その教えをもとに、伝教大師(天台宗の開祖)(最澄)は「像法時代」という、その時代にはまだ適してた教えを広めていきました。
しかし、末法時代にはその効力もすでになく、その後の弟子の「円仁」「円珍」「安然」は密教を取り入れ、本来の天台宗を汚濁していきました。
密教の所為の経典は、真言宗も同じですが、真実の教えである「法華経」には遠く及ばない「借り」の教えなのです。
・日蓮宗
日本に「数自体」は多く存在しているお寺ですが、さまざまに独自の動きをしていて、御本尊もそれぞれに統一されていません。
「勝手に判断して動く」ところは「邪宗」共通のあるあるですね。
「御本尊」「血脈」「教え」などなど、正しく伝わってるとこがありながら、それを否定して我を通しておきながら、わたしたち日蓮大聖人の教えをやってます、とは滑稽な話であります。
結果として、教えと違うから誰も本人も幸せになれていないから気づくべきなんですけど。
ここの人達は、人の顔色をうかがってばかり。
時代的に、政府の顔をうかがってビクビクしながら続けていたり。神社が流行ると、ともに式典を催したり。
子は親に似るとの法則により、邪宗の害毒としては、「八方美人」の毛があるかもですね。
・浄土・浄土真宗
まず、依経としているものが真実以前に広まった「方便の教え(借りの)教え」であること。
本尊は架空の存在しない仏であるということ。
開祖(法然)の、他の教えを捨てさせ、この教えのみを信仰するように広め、その時代の流行りも乗って、今の日本のシェア一番の浄土・浄土真宗です。
教えを説いた時代、疫病がはやり、戦で人は何人も死に、ボロボロの時代の中、阿弥陀如来(架空)が極楽浄土(架空)に連れていってくれると説きました。
そして、こんな荒んだ世の中にすがるよりもはやく死んで極楽へ行きたい、死んだら極楽へいける、はやく死にたい、などの流れになっていったのです。
本人は信仰していなくとも、親族などどこかで繋がりがある者が必ずいるはずです。邪宗の害毒は、水銀・放射能と同じく何代も何代も続くと言われています。
自己の大切さを失い、命を捨てたがる人を増やす邪宗がシェア一番なわけですから、この国が自殺大国な理由も見えていきます。