※信仰のさんぽ道2より抜粋
・念仏は地獄行き
平安の昔、岡山県の久米群に漆間時国(うるまときくに)という武士がいました。
時国は土地の争いによって夜襲をかけられ、体に大きな刀傷を負い、それが致命傷でこの世を去ったそうです。
時国は、仏教の知識があったらしく、彼が亡くなるまぎわ、
「仇討ちをしようと思うな。怨みは、また怨みを生んで、それが悪循環となり、憎しみは途絶えることがなくなる」
と「伝教大使(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)」の言葉を用いて我が子に言い残しました。
それを聞いた母と息子は時国の遺言を守るため、追ってから逃れるために、母の兄弟が住職をしている寺へ逃れました。
住職は、滋賀県大津市にある比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)で学ぶことを勧めました。
それが契機となり、彼は延暦寺で授戒(じゅかい)を受けて修行を始めました。
やがて彼は「阿弥陀仏(あみだぶつ)」の教えに触れ、比叡山を下り、人々に阿弥陀仏の教えを説き、三人の天皇や関白(かんぱく)、武士、庶民にも授戒をしたことなどから、彼の名声は一躍国中に広がりました。
その僧こそ「日本浄土宗の祖」といわれる法然房源空(ほうねんぼうげんくう)であります。
親の教えに従い怨みを捨て、自ら出家して学問に励み、人々のために法を説こうという心は、じつに立派であり、その意味では出家者の鏡とも言えます。
しかしながら、志(こころざし)が立派なのと、その人の教えが「仏法の道理」にかなっているかどうかは別であります。
中国の妙楽大使(みょうらくだいし)は、
「たとえ発心(ほっしん)の志(こころざし)が、信仰の心が純粋なものであっても、拝む本尊が正しくなければ成仏の種とはならない」
と信仰者に注意をうながしています。
法然は、
「法華経はたしかに有難く、尊い経典だが、今の我々には理解できない。(理深解微(りじんげみ))
阿弥陀経の(浄土三部経)の教え以外は、たとえ尊い法華経であっても、
捨てよ、閉じよ、置いておけ(さしおけ)、放り投げておけ(なげうて)(捨閉閣抛(しゃへいかくほう))、
と言い「念仏」だけを唱えていきなさい。」
という教えを人々に説いていきました。
日蓮大聖人は、
「そもそも仏法を広めて人々に利益を受けさせるには」
・多くの教えの中にも、深い教えと浅い教えの違いがある。深い教えとは何かを知らなければならない。
・教えを受ける人々がどういう性質や理解力をもっているかを知らなければならない。
・お釈迦様がこの世を去ってのち、今はどういう時であるかを知らなければならない。
・仏法を広める国の文化や思想などの国民性を知ることが重要であり、とくに日本は「法華経」を流布する重要な国であることをよく知らなければならない。
・仏法を流布する順序・次第を知らなければならない。
浅い教えが広まっているならば、それより深い教えを説くのが順序だが、「法華経」という深い教えが広まっているのに「禅(ぜん)」や「念仏(ねんぶつ」や「真言(しんごん」といった浅い教えを説くというのは大きな誤りである。
(この五つを宗教の五網(ごこう)といいます。)
その意味から、「建物を建てるときは、足場を組むが、その建物が完成したときには、足場は必要ないだけでなく、もはや邪魔なものであるように、「念仏」の教えは人々に仏教を弘めるための足場にすぎない」
と仰せになり、
「法然などは、(末法の人々に利益を与え、成仏させる教えこそ法華経であることを知りながら)、法華経の教えを自分勝手に歪曲(わいきょく)している。
そのような念仏は、この世を荒廃(こうはい)させ人々を地獄へ落とす元凶である。
だからこそ念仏をとなえることをやめさせなくてはならない」
と厳しく咎められています。
では、法華経というお経はどういうお経なのかを伝える前に、法華経を説く直前に説いたお経、「無量義経(むりょうぎきょう)」というお経があります。
このお経の中でお釈迦様(釈尊)は、
「いままで説いてきた説法(お経)は、人々の根性が様々だったので本当のことを説いていませんでした。」
と宣言し、そののちに法華経を説き、ここで初めて、
「どんな生き物でも成仏することができる」
「仏はこの世ではなく、久遠(くおん)という遠い昔に成仏していた」
ということなどを説き表しました。そして、
「いままで説いてきたお経の中で、一番の教えである」
「いままで説いたお経の中で、最も尊く、お経の中の王様である」
と法華経の教えこそが第一であると説き、また、
「もしも法華経を信じないで誹謗する人がいれば、その人は成仏の種をなくしてしまうだけでなく、命が終えたのちは地獄に堕ちるだろう」
と説かれました。
このような意義から日蓮大聖人は、人々に念仏を唱えるのをやめさせ、法華経を信仰するように人々に弘めたのであります。
そして、のちのちの世のため、人々が仏様の姿を拝めるように、「戒壇のご本尊」を残されたのであります。