※信仰のさんぽ道にて抜粋

・十二因縁について

生命の流転をみる手がかりとしては「十二因縁」というものが説かれる。

このことはすべての人間が等しく具える性質、因果だ。

 

十二因縁とは、「無明むみょう」・「行ぎょう」・「織しき」・「名色みょうしき」・「六入ろくにゅう」

・「触そく」・「受じゅ」・「愛あい」・「取しゅ」・「有う」・「生しょう」・「老死ろうし」、

 

という「十二項目」に分けられるが、我々は、この因縁にしたがって生まれてから、

その次第を経て、生き、死ぬことを繰り返すと説かれている。

 

ここで「十二因縁」を簡単に説明するがこれを幼児や我が身に当てて読んでみるとわかりやすいだろう。

 

1、無明、我々が明らかに覚知することができない根本的な煩悩をいい、これをおおざっぱに言えば欲望である。


2、行、煩悩によって起こる行動。精子と卵子の結合や着床と考えるとわかりやすい。

(1~2は過去の因)

 

3、織、我々の意識、様々な事物を識別する感覚が現れる。

4、名色、色とは仏教では体を指すことが多いが、一つ一つの物、姿形と考えると分かりやすい。

 

5、六入、六つの感覚器官(六根)が入る(具わる)。

それは、眼、耳、舌、身、意こころ、で見たい、聞きたい、嗅ぎたい、味わいたい、触れたい、それらをどうするか考える意識が具わる。

 

6、触、前の5で示した六根に対象物が触れることをいう。

この項目のうち、6から10は赤ちゃんの行動や人の成長過程としてみるとわかりやすいだろう。

 

7、受、前の6で示した触によって受けた感覚で苦や楽などを感じること。

(3~7は、現在の五果)

 

8、愛、前の7で示した受を再び味わいたいという欲求で「渇愛かつあい」とも言うが、事物や異性への欲望。


9、取、8の愛に執着する欲望を持つ。


10、有、自分の所有物になる。または現在の自分が出来上がる等、様々な解釈を持つ。

 

(8~10は現在の三因)

11、生、この6~10を繰り返して我々は日頃生き、他の要因を伴って再び未来に生まれるが、現在の三因が未来の生を受ける因となる。

 

12、老死、現状が衰退し、やがて死を迎える。未来においても老い、また死んでいく。

(未来の両果)

 

少し難しく読みにくかったかもしれないが、この十二因縁には、「過去の二因」「現在の五果」「現在の三因」「未来の両果」といって、

 

我々の業因業果は、三世につながると説かれているが、これらは数式と違い、様々な「縁」に触れながら、良くも悪くも種々変化する。


この縁とは不思議なもので、縁よって悪が善に、また善が悪になることもある。