※パンフレットより抜粋

・幸せとはなんでしょうか


「日蓮大聖人」は、

「十界(じゅっかい)の色心妙法(しきしんみょうほう)と開覚(かいかく)するを

現世安穏(げんせあんのん)後生善処(ごしょうぜんしょ)とはいうなり」

と仰せです。

 

「生きとし生けるものが、それぞれの心身(しんしん)を妙法(みょうほう)の当体(とうたい)(仏)となすこと、

 

それが現世(げんせ)は安穏(あんのん)で、来世は良きところに生まれる」

というということの意味であり、幸福の内容であると拝されます。

 

つまり、「幸せ」とは「現世安穏」・「後生善処」であることと拝されます。

 

 

人生は楽しむべきもの、、と思って「享楽(きょうらく)」にふける人。

 

「達成感」や「勝利感」を求めて「刻苦勉励(こっくべんれい)」する人。

 

一人静かに書に親しんだり、趣味に没頭したりする人。

 

意欲も目的観もなく過ごしている人。

などさまざまです。

 

皆、自分がやりたいようにやって、それでヨシとしているように見受けられます。

 

では、「幸せ」とは何か。

 

今の「心理学者」や「哲学者」、「文学者」などの間では、これを定義することはできないといわれているようです。

 

「幸せ」の定義ができなければ、幸せになれようはずがないと考えられます。

 

 

仏様は、人生は、

「生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)・

 

愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)・求不得苦(ぐふとっく)」

 

の世界であり、この「八苦(はっく)」によって、

 

「憂(う)」・「悲(ひ)」・「苦(く)」・「悩(のう)」、

に逼迫(ひっぱく)されている。

 

つまり、憂い、嘆き、悲しみ、苦しみ、悩み、迷い、さらに不浄(ふじょう)が人生であると説かれています。

 

それが、仏典での不幸の内容であり、人生の本質とされている、といえるでしょう。

 

この万人共通の八苦を根本的に解決するのが「仏教」であり、日蓮大聖人の「三大秘法」の仏法なのです。

 

「幸せ」とは、「仏」になること。

 

仏の境涯(きょうがい)は、「四徳(しとく)」であるといわれています。

 

四徳とは、「常(じょう)」・「楽(らく)」・「我(が)」・「浄(じょう)」をいいます。

 

「常徳(じょうとく)」とは、命は常住(じょうじゅう)し、永遠不滅であるということ。

 

常徳を体得すれば他の「楽徳」「我徳」「浄徳」も同時に得られるといわれています。

 

楽徳とは、心身(しんしん)が安穏安楽(あんのんあんらく)であること。

 

我得とは、常徳である事実の我(が)を体得すれば、自由自在の活動も具わるということ。

 

浄徳とは、煩悩に汚染されない、ゆえに苦しむことはない、こと。

 

これが四徳といわれています。

 

この四徳を成就することが、「無上の幸福を得る」ということです。

 

そのためには、この末法においては日蓮大聖人の「三大秘法」を受持信行(じゅじしんぎょう)する以外にありません。

 

つまりは、

日蓮大聖人が、この末法の人々に残された「戒壇のご本尊」。


 

その仏様の名である「南無妙法蓮華経」を唱えることによって、その功徳は潜在意識の奥底、七感・八感・九感にまで作用し、

 

過去世から背負ってきた問題が刻まれた、潜在意識の奥底に作用し、

 

通常では決してなし得ない「罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)」「転重受軽(てんじゅきょうじゅ)」「変毒為薬(へんどくいやく)」の効果を得られるのです。

 

それにより、様々なものが整っていき、信心を続けることによって、心身の両面が磨かれていき、それぞれが仏の道を進んでいくのです。