※信仰のさんぽ道より抜粋
・臨終は必ず来る
日蓮大聖人は、
「人の寿命は、いつ尽きるかわからないものです。
賢い人にも愚かな人にも、また老人・若輩にかかわらず、
死というものは、やってくるのです。

だからこそ、まず臨終・未来の果報ということをしっかりと習い、それから自分のやりたいことを習いなさい」
と私たちに訓告されています。

私たちは仕事・生活に忙殺されていたり、「いまの健康」「いまの生活」が強ければ強いほど、先のことを考えない傾向にあるともいえます。

「後(のち)の世(よ)と聞けば遠きに似たれども、知らずや今日もその日になるらん」
との歌があるように、私たちの呼吸の中に「生」も「死」も共に具わっているのです。

そこで考えるべきことは、
「いつか死ぬのだから、いま楽しいことだけをする」
のではなく、
「その時のための備えをし、それから楽しいことをする」
ということです。

それは、何も難しいことではなく、今の末法の世で言うなら日蓮大聖人が残された戒壇のご本尊を拝し、お題目の南無妙法蓮華経を唱えるだけで良いのです。

その行いのところには、自然に日々の生活上に利益としてあらわれます。
それを、日蓮正宗の信徒はコツコツと皆に伝えています。

・ある人の体験談
ある日、大きな悩みを抱えた人がいました。

それを打ち明けられた私は今こそ、信仰の大事を理解してもらおうと思い、話をしました。
その人は、
「私が苦しんでいる時に、信心の話をしなくてもいいじゃないか。今は眼前の悩みを解決したい」と言いました。

私は、
「普段から信仰するほどの悩みはないと言っていたのは、あなたでしょう。だから今、こうして話をさせてもらっているのです。」
と苦笑したのでした。

これはまさに、大聖人に迫害を加えた鎌倉幕府が、
国難である「蒙古襲来(もうこしゅうらい)」の時には、態度を一転させて「どうしたら良いだろうか」と相談してきました、

それに対し大聖人が、誤った一切の教えを捨てて「正法」に帰依しなさいと訴えましたが、結局、幕府側が拒否したという姿に酷似していました。