人生は、本来備わっている本心のままに生きることができれば、
一番の幸せです。
この本心とは、法華経では、持ち前の健全で正しい心と説いています。
さらにできるだけ、思いやりを持って人を支えて生きることです。
そのためには、正しい宗教をより所として、正直に心豊かに生きることです。
自分の心を中心にすると、根無し草のような生き方になってしまいます。
その本心をどのようにしたら得られるでしょうか。
人は外出の時には、「すがた身」という鏡に写して、身なりを整えます。
同じように心を、ありのままに写し出す鏡があれば、何時でもどこでも、
心を整えることができます。
映し出された心の世界を、仏法では十種に分けて十界といい、その中の仏界が、
私たちの成仏という最高の幸せの根拠になります。
最近の人の心持ち状態が地獄界・餓鬼界に多く定着してる感を見受けられます。
これは日蓮正宗の人の心の内を分解した「十界論」です。
畜生界・修羅界も多いのでしょうが、それに囚われた人などがよく事件、
ニュースに載りますね。
地獄界に影響受けている人は、欲望・嫉妬・不満・妄想で苦しみ続ける人です。
いかるは地獄、と言いまして。
やり場のない恨みの心。どうすることも出来ない命のうめき声、がいかりです。
餓鬼界は、常に飢えて、
激しい欲望の火に身を焼かれ苦しみ続ける境涯に身をおいてること。
餓は、我を食らうと書いて文字通り自分を食いつぶす破滅の境涯。
こんな境涯の中にいては幸せは訪れません。
正しい判断もできてこないでしょう。せめて、ニュートラルの人界に戻り、
泡のように消えてしまうけど幸せ・楽の境涯の天界、
そして仏道修行をちょっとずつして、声聞・縁覚界、されに上の菩薩界、
そして本当の幸せの境涯の仏界を目指さないとその人の幸せは訪れません。