このブログでは、たびたび日本人と中国人・朝鮮人の歴史感の根本的な違いを幾度も指摘をしています。
日本人にとっての歴史は『事実の積み重ね』、中国人・朝鮮人にとっての歴史は『自己正当化のための捏造』だと。
一方で、反日ブロガーが歴史を論じる場合は、こうした事実に目をつぶって、『悪辣な日本人、善良な中国人・朝鮮人』なる妄想をでっち上げることから始まります。
そして、敗戦後に受けた日本人の引き揚げ者に対する、中国人や朝鮮人の残虐非道な行いに関しても、
『そもそも日本人が悪辣な行為をしたから、敗戦後に酷い目にあわされたのだ。中国人や朝鮮人は正しいのだ』
との妄言を吐き散らします。
さらには、
『朝鮮併合後、日本によって朝鮮が近代化し、教育が行き渡り、人口が増えたといっても、それは唾棄すべき植民地政策だ。なぜなら日本人は悪辣なのだから』
とまで、虚言を吐く妙ちきりんな輩までいます。
こうした、論理思考のかけらもできない不逞の輩のブログの特徴は、やたらに記事が長い。
クドクドと愚にもつかない言い回しをして、小室直樹などの著名人の著作を長々引用しながら、『悪辣な日本人』なる妄想にふけっているのが特徴です。
さて、歴史観を検証するのは、私にとっては非常に重要で、たまたま歴史書の新刊を探していて、非常に面白い書評を見つけたので、紹介します。
宮脇淳子著『モンゴルの歴史』へのamazonにのっている閑居人氏の書評です。
この書評を読むだけでも、『中国大陸・朝鮮半島の戦争のルール=敗者は皆殺し』がわかるように思います。
これこそが、中国大陸、朝鮮半島の残虐性の由来だと、私は思います。
注)URLは非常に長いので省略『amazon モンゴルの歴史 宮脇淳子』で検索して下さい。
以下一部引用します。
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3 「モンゴル帝国」の残虐性は、何によるものか?
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宮脇は、考え抜いた「モンゴル軍の虐殺の真相」を述べている。(81ページ以下)
「モンゴル軍は、中央アジアの諸都市に対してまず降伏を要求した。要求に応じて開城した都市の住民は、掠奪は受けたが生命は助かった。その反対に、城門を閉じて抵抗した都市の住民は、落城の後で、工芸家と職人を除いてことごとく虐殺された。」
「モンゴル軍は・・・東方の「金」領にも侵攻して猛威を振るったが、この方面で大虐殺があったことは伝えられていない。これは漢文で記録を残した人びとに、虐殺は自分たちの古来の戦争のルールであるから、特に怪しまなかったのだろう。
大虐殺の記録が中央アジアで特に多く、被害を実際の『100倍にも誇張している』のは、イスラム教徒がモンゴル軍の侵入で受けた心理的ショックの大きさを物語るものである。イスラム教徒のこれまでの常識では、戦争は外交と同じく交渉の一形式で、一方では戦闘の姿勢をとりながら他方では取引をして、なるべく実力行使に持ち込まずに勝負をつけるものだった。」
宮脇は淡々と当然のように述べているが、ここに洞察され、書かれていることが自明のことなら、宮崎市定も詳述しただろうし、飯塚浩二も「東洋と西洋の間」であんなに悩まなかったはずだ。読者は、著者があっさりと書いているからといって、それが簡単に得られる知見だとは思わない方がよい。
>> 閑居人氏の書評『考え抜かれたモンゴル高原に生きた人々への考察 』
注)青字は、宮脇先生の本から閑居人氏が引用した内容。