行動の結果。 | Fuga Del Gatito Blog

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LGBTなブログ




真面目なお話。

僕らゲイは自分たちの存在をコノ社会で
認めて欲しいと主張しますが

ですが、その主張を通せるだけの
モラルを持ち合わせて行動していますか?

アナタはセクシャルマイノリティ全体の事を
考えて行動し生きていますか?


おそらくはNOっと言えるでしょう。


自分の生きたいように生きる。
聞こえは良いでしょう。

自由で誰にも束縛されない。
自己責任だから、誰にも迷惑かけていない。

ですがコノ世の中に自由はありません。
生きるとは何かしらのしがらみ、責任が伴うのです
自分の行動の結果は自分だけの責任にはなりません

周りのアナタに関わる全てに
負担としてのしかかるのです。


僕はゲイとして生まれましたが
セクシャルマイノリティの中でも
マイノリティな部類に入ることでしょう。

なぜならゲイの方々の行動の多くを
疑問の眼差しで見ているからです。

例えば『ハッテン場』ですが
ノンケの場合にもHなお店は存在します。
これも僕からしたら理解しがたいのですが...。

そもそもハッテン場とは必要なのでしょうか?

出会いを求める場は場です
確かに僕らゲイは少数派なので
恋人探しの場は必要な事は必要ですが・・・でも

ほとんどの目的はその場限りのHの相手を探す場。
コノ社会からしたらモラルを逸脱した行為と
受け止められることでしょう・・・。

そして、病気の蔓延に繋がる危険性が多くあります。

日本人は現実に自分の身に危機が迫らないと
事の重大さに気がつかない、楽天的主義の国民性と言えます

さらに僕らゲイは人生も快楽に対しても楽天的になりがち
別に偏見をもって書いてはいません。


ただ自分も男だからこそ、性欲の赴くままに
行動してみたいとゆう衝動がよく分かるので・・・。

ですが、僕らは理性ある人間なんです
本能を押さえられる生き物です。

ですが現実は男性ゲイの多くの人達が
本能の赴くままに性欲を満たしているかと・・・。

その行為は社会からどう見られているか
アナタは考えた事がありますか?

逆に一般社会はゲイからどう見られているか
考えたことがあるのでしょうか?

お互いが歩み寄らなければ、変わらなければ
セクシャルマイノリティはいつまでたっても
コノ社会で受け入れられる事はないでしょう。


今一度自分達の行動に責任を持つ事が必要。

無神経な行動の結果は誰かがアナタの代わりに
背負う羽目になる事を心に止めておいて下さい。

皆さんも一瞬でもこの事を考え
自分が行動した結果がどんな未来かを考えてみて下さい。